第35章 過去編:名前のない怪物
その感情に「殺意」と言う名がある事を、慎也はまだ知らなかった。
恐ろしい程に静かな場所だった。
真っ白な部屋でクラッシックが流れている。
泉はその部屋でただひたすらに、あの日の事を考えていた。
「――私が、佐々山くんを死なせた。」
それは深く泉の心に突き刺さった。真実を見付けると誓って以来、初めてあんなに感情を剥き出しにして叫んだかも知れない。
彼が助かるのならば、この声が枯れたって良かったのに。
『日向泉サン。面会人ガ来テオリマス。』
「誰?」
「公安局刑事課二係、青柳璃彩監視官デス。」
ドローンの言葉に、泉は顔を上げた。
「――久し振り、泉。気分はどう?」
「最悪よ。ここ、何もないんだもの。」
「我慢しなさいよ。もう色相安定してるって聞いたし、すぐに出れるんじゃないの?」
「どうかしら。局長の話だと1年ぐらいは戻してくれないみたいだったけど。――事件の隠蔽が済むまで私は邪魔でしょ?」
その言葉に、青柳はギュッと服を握った。
「ごめんなさい。――『被疑者不明』のまま、この事件は事実上終わるわ。」
「そう。」
怒る事もなく淡々と言う泉に、青柳は思わず声を荒げる。
「怒らないの?」
「なんで璃彩を怒る必要があるの?今回全て悪いのは私よ。」
「泉!アンタ、何をあそこで見たの?!佐々山くんは――。」
「言わないで!私は何も見ていない。――璃彩だってそうなんでしょう?」
その言葉に、青柳はグッと言葉に詰まる。
全ては言葉に出してはいけないものになったのだ。この世界を守る為に。
「――『秘密』の揺りかごは決して揺らしてはいけなかったのよ。」
「それじゃ私達、なんの為にいるのかしらね?」
自嘲気味に言った青柳に、泉は何も答えなかった。
「慎也は?」
「――狡噛くんは監視官から執行官に降格したわ。ごめんなさい。こっちもどうする事も出来なかった。」
「良いのよ。慎也が猟犬になるのなら、私が飼い主になれば良いだけ。――私は忘れないわ、佐々山くん。絶対に。」
それは決して語られる事のない事件の真相。