第35章 過去編:名前のない怪物
「マキシマ、ショウゴ!それがヤツの名前か!」
役に立たないドミネーターを鈍器に変えれば、佐々山は藤間に殴りかかる。
「瞳子ォ!逃げるぞ!上に俺の仲間がいる!」
「彼女は行かないよ、彼女は僕とここでずっと暮らすんだから。」
その瞬間、佐々山の背中にボールペンが突き立てられた。
幼い私が笑っていた。暖かい春の日の下で、優しい義兄が揺りかごに座って本を読んでくれる。それを両親が笑って見ている。その時間が、泉はとても好きだった。
「お兄ちゃ、ん。」
「呼んだかい?」
その声にハッと泉は目を開ける。そこには心配そうに自分を覗き込む槙島の姿があった。
「ッ?!」
思わず反射的に起きようとするが、泉は何かが身体を戒めているのに気付いた。
「無理をしてはいけないよ。完全に薬が取れた訳じゃないんだ。」
「何を?佐々山くん?!」
泉は縛られている身体を上手く動かして起き上がれば、部屋の片隅に血だらけで倒れている佐々山の姿を見つける。
「佐々山くん!佐々山くん、返事をして!」
「日向、チャン?」
声が聞こえたのか弱弱しい佐々山の声がする。それに安堵をしながらも、泉は同時に恐怖が頭を過ぎる。彼の目は恐らく既に見えていない。
「離して、お兄ちゃん!佐々山くんを助けないと!」
「悪いけれどこれは彼との取引なんだ。泉を標本にさせない代わりに、彼を好きにして良いと。」
「ふざけないで!勝手に私の命の代償に佐々山くんを使わないで!藤間幸三郎!どこかで聞いてるんでしょう?!こんな悪趣味な真似やめてさっさと私を殺しに来なさい!」
泉が叫ぶ。槙島は泉が動けないと踏んでいるのか、それを哀れそうに見ていた。
「おやおや。聖護君のお姫様は随分と威勢が良いんだね。」
「藤間――!佐々山くんを解放しなさい!それから瞳子ちゃんも!」
「彼女ならそこの男が逃がしたよ。お陰で僕はまた新しいお姫様を捜さなければいけなくなった。」
忌々しそうにそう言えば、藤間はボールペンで佐々山の胸を貫く。
「がはっ――!」
「佐々山くん!やめて!」
恐らく彼は死なないギリギリのラインで拷問を受けたのだ。良く見れば足は途中で切断され、指も何本か無くなっている。その様子に泉は狂ったように叫ぶ。