第35章 過去編:名前のない怪物
「そういえばさっき、面白い女の子に会ったよ。君の通う学校の生徒だったみたいだけど?」
薄暗い部屋の中で頼りなげに灯る白熱電球を見つめながら、槙島聖護はうそぶいた。
その電球の対角線上に、一人の男が立っている。
桜霜学園社会科教諭の藤間幸三郎だ。
彼は、足下から長い影を伸ばしながら、こともなげにボールペンを弄んでいる。
自分の身元を知る人間がこの付近をうろついているというのに、その事実に動じる様子は藤間にはない。ただ静かに呟いた。
「そう――。」
「面白いな。」
「何が?」
「君のそう言う、目的以外一切興味がないところ。かと言って短絡的でも浅はかでもない。」
槙島はそう言いながら、ゆっくりと周囲を見回す。
扇島の最深部、隔離され忘れ去られた場所に二人はいた。
「そう言えば、僕も学園で興味深い女性に出会ったよ。」
「へぇ?どんな子だい?」
「綺麗な人だった。スーツを着ていたし、今思えば公安局の人間かな。」
クルクルとペンを回しながら言う藤間に、槙島は首を傾げる。
「綺麗、だけが君の意識を引いた訳でもないだろう?」
「うん。どことなく雰囲気がね、君に似ていたんだよ。聖護くん。」
「へぇ。――もしかして、黒髪の長い女性かな?」
心当たりがあるような素振りを見せる槙島に、藤間はペンを回すのを止める。
「知り合い?」
「多分ね。さっき会って来たところだよ。」
「へぇ。聖護くんが大事にしている人か。道理で僕の興味を引いたわけだ。」
どこか納得したように言う藤間に、槙島はふぅっとわざとらしくため息を吐く。
「――彼女には手を出さないでくれよ。あの子はまだまだ生きて貰わなきゃ。」
「きっと美しい標本になると思うけど?」
「悪いが彼女は生きてこそ価値がある。手を出すのは許さない。」
槙島にしては珍しく語尾を強める。藤間は面白いものを見たように口角を上げた。
「聖護くんがそこまで言うのなら。約束するよ。僕は、君が興味を持つに足る人物と言うことかな?」
「気分を害しちゃったかな。」
槙島の問いに、藤間は意外そうに目を丸くして見せた。
この何も興味の無さそうな男は、たまに無邪気な少年のような表情を見せる。
槙島は藤間と言う男を気に入っていた。