第35章 過去編:名前のない怪物
「あるとも。かなり特殊な事例だが。」
現在日本人は出生届の提出と同時に、シビュラシステムにDNAとサイコパスを登録する事が義務付けられている。つまり、通常であれば遺体が発見された瞬間に、現住所から家族構成、学歴職歴病歴まで、故人に関するありとあらゆるデータが照合可能なのだ。
しかしそれが出来ないと言う事は、彼女がある特殊な境遇の持ち主だった事を示している。
「無戸籍者――、ですか?」
泉の言葉に、周りの刑事が身を引いて驚く。
「その通り。恐らく彼女は、なんらかの理由で戸籍にもシビュラシステムにも登録されることなく今日まで生きて来た無戸籍者だ。」
酷く楽しそうに言う霜村に、泉は内心やられたと思った。
「だからね、日向監視官。君達一係にはまず、彼女の身元特定をお願いしたい。」
つまり面倒を押し付けられたわけだ。
「無戸籍者の身元の特定なんて、くだらない言葉遊びみたいなものだ。特定すべき身元がないんだから。」
宜野座の言葉に、泉は苦笑する。
「ごめん。ご不興買っちゃったみたいね。」
「いや、お前のせいじゃないさ。さて、どうするか。」
ポンと慎也が泉の頭に手を乗せる。
宜野座も同意するように頷けば、眼鏡の位置を直した。
「――とにかく聞き込みしかないか。まるで旧体制の刑事だな。」
どこか自嘲するように言えば、泉は笑った。
「大丈夫でしょ?うちには智己さんがいるもの。」
「あいつが嬉々として聞き込みしてる姿が目に浮かぶよ。」
宜野座がため息混じりに言えば、慎也が二の句を継ぐ。
「しょうがない。人海戦術が出来るほど人手はいないが、しばらくは廃棄区画をしらみつぶしだな。」
「廃棄区画――。やはり扇島かしら。」
「まぁ、そうなるだろ。都内にも廃棄区画はいくつかあるが、人が一人ある程度の年齢までシビュラに触れずに生活出来る規模ってなるとあそこしかない。」
慎也と泉の脳裏には、昨晩足を踏み入れた扇島の光景が浮かぶ。
「狡噛と日向。お前らは征陸と佐々山を使え。俺は六合塚と内藤を使う。」
想像はしていたが、その露骨さに苦笑が隠せない。
「何笑ってるんだ、お前達。」
「いや。」
片手で口角を押さえる慎也を、泉は後ろから叱咤するように叩いた。