第35章 過去編:名前のない怪物
「そんなこと、お前や俺が考える必要はない。潜在犯と分かってる人間を見逃す、その行為が問題だと言ってるんだ。お前は潜在犯が更生して社会復帰する権利を奪ってるようなものなんだぞ。」
慎也の言葉は、正論だった。
まごうことなき正論であった。
佐々山は白けたように一息つくと、スーツの胸ポケットから潰れた煙草を取り出した。
「更生して社会復帰、ねぇ。流石公安局のエリートは崇高な理念をお持ちだ。――吸う?」
「俺は煙草は吸わん。何度言ったら分かるんだ。」
「そーでしたそーでした。日向チャンは?」
欲しい!と手を伸ばしかけて、泉は横の鋭い視線にその手を引っ込める。
「煙草ぐらい許してやれよ。嗜好品だろォ?そんな度量の狭い男じゃ日向チャンに捨てられるぜぇ?」
その言葉に、慎也はハッと勝ち誇ったように笑う。
「残念ながらコイツは俺に心底惚れてるんでな。」
「むかつく――!その自信がむかつくぜ。」
一触即発になりかけた空気を壊すように聞きなれない声が辺りを支配した。
「ねぇ。用がないならもう帰ってい~い?」
大人3人の茶番劇も見ていて面白くはあるが、流石に眠たいし寒いし帰りたい。
桐野瞳子はそう思って声を上げた。
「て言うか寒いんだけど。空調、もっと温度上がらないの?」
そう言えば、泉と呼ばれていた女性が毛布を掛けてくれる。
「ごめんなさいね。あのオジサン二人のせいで気付かなくて。」
「おい!泉!」
「ひっでぇよ、日向チャン。ちょっとしか違わねぇだろ。」
項垂れる男二人を余所に、泉はココアを淹れてくれた。
「はい、温まるわよ。」
「有難う。――お姉さんも風邪引くよ?」
瞳子がそう言えば、泉は目を丸くさせる。
スーツは既に雨のせいで水分を含んで張り付いており、彼女の肢体を見事なまでに浮かびあがらせていた。
同じ女としてなんか自信を無くしてしまいそうだった。
「有難う。でも大丈夫よ。こう見えてタフなの、私。」
泉はクスクスと笑えば、残りの二人にも珈琲を配る。
「可愛いね~。その制服、桜霜学園のだろ?すっげ~お嬢様学校の。」
「佐々山くん。変質者で捕らえるわよ。」
「だから日向チャン、さっきから酷いって。」