第26章 閑章:サロメ【後編】
――愛をください。
「無邪気に笑うお嬢さん。君はまるで小悪魔のような天使だね。」
2月14日。
その昔、この日はバレンタインデーと呼ばれていたらしい。
「――でも元を正せばバレンティヌス司教が撲殺された日なのよね。」
パキン――、と。
チョコを咥えたまま折りながら、泉はパラパラと本を捲った。
「美味しそうな物を食べてるね。」
「槙島先生!――こんにちは。」
彼がやって来るこの週1日の逢瀬が楽しみになって来たのはいつの事だろう。
泉は綻ぶ顔をそのままに槙島を出迎えた。
「先生。これ面白かったです。」
「もう読んだのかい?『タイタス・アンドロニカス』はどうだった?」
「先生は悲劇がお好きなのかしら?」
「そうだね。悲劇は好きだよ。人間は悲劇に見舞われてこそより一層感情を剥き出しにする。」
受け取った本を開きながら、槙島は答えた。
「一つ質問をしてみよう。辱めを受けた命から解放されて――、ラヴィニアは幸せだったと思うかい?」
「――私は思わないわ。」
「おや、どうして?美しい花だっていずれは枯れて散る。それならばいっそ咲き誇る姿のままに時を止めてしまいたいと願うのが人の心では?」
意外そうに槙島が問えば、泉は哀しそうに笑った。
「だって――。苦しくても生きて生き抜いたその先には、もしかしたらまだ見たこともない世界が広がっているのかも知れないわ。」
「――君は。本当に昔から変わらないね。」
そっと槙島が泉の頭を撫でれば、泉は不思議そうに首を傾げた。
「先生?」
「いや、なんでもない。それよりもしかしなくてもそのチョコは僕へのプレゼントかな?」
話を反らすように、泉の横にあった箱を指差す。
「――先生。バレンタインって知ってます?」
「知ってるよ。昔のイベントだろう?好きな人にチョコを送るって言う。最も日本だけは女性から男性に送るみたいだけどね。」
「じゃあこのチョコの意味、分かってくれますか?」
どこか不安そうな泉に、槙島は思わず口角が上がる。
嗚呼――、彼女だけは昔から僕に生きる糧を与えてくれるのだ。
「――自惚れた解釈になるけど良いのかな?」
「きっと正解です。」
そっと重なった影を見るものはいなかった。