第3章 Sweets in the rain(紫原敦)
「ランコントルに、いらっしゃったんですか……?」
「はい。申し訳ありません、黙っていて。みわさんが昨日お店にいらした時にすぐ分かりました」
「いえ、こちらこそ気が付かなくて」
あのお店のマスターの顔は覚えている。
ちょっと怪しげな黒ひげを生やしたおじさんだったはず。
こんな、紳士的な方じゃなかった。
「気が付かれなくて当然です。当時、わたくしも紫原も、調理スタッフとして従事しておりましたので」
「そうだったんですか……」
「ランコントルのスイーツがお好きでしたよね。いつも、沢山召し上がっていて」
「そうです……大好きでした、ランコントルのスイーツ。でも、ある日を境に味が変わってしまって、それからなんとなく足が遠のいてしまったんです」
懐かしい。
大好きだった、あのお店のお菓子。
昨日食べたスイーツみたいに。
……そう言えば、昨日のお皿となんとなく似てる。
盛り付けとか、幸せになる感じとか……。
「恐らくそのタイミングで、わたくしと紫原がこのお店に引き抜かれました。ここの店長は昨年他界し、それからはわたくしがマスターとして立たせて頂いております」
「大変だったんですね」
いえいえ、と微笑むマスターの目尻に刻まれた皺。
きっと、沢山の苦労があっただろう。
でもその結果を掴み取った人間は、こんなにも優しくて強くなれるんだ。
……紫原さんも、優しくて優しくて強かった。
なんにもない私とは大違いだ。
「ランコントルで働いていた当時、珍しく彼は悩んでいました。自分の味を表現する事に。自分の皿を完成させる事に」
あののんびり喋る彼からは考えられない……と言ったら失礼だけれど、料理人というものはやはり厳しいものなんだろう。
「元々、そんな悩みを外に出すようなタイプではなかったのに、あの時は違いました。何を作っても満足できない、未来がどんどん閉ざされていってしまうような、そんな閉塞感に襲われていたのです」
落ち込んでいる彼を想像する。
その時、もし私が傍に居たら、支えてあげられたのかな……。
はっ、だから何を妄想してるんだって!
「そんな時でした。あなたが、恋人と一緒にお店にいらっしゃったんです」