第2章 unconfident(氷室辰也)
泣くな。
こんなヤツのせいで泣くなんて悔しい。
思わず俯いて地面を睨んでいると、鈍い音と共に、男が視界に入って来た。
「え……?」
驚いて氷室さんを見上げて、初めて気が付いた。
彼が、男を殴り飛ばしたのだと。
「っ……てぇ……何すん……!」
「失せろ。次は殺す」
周りの空気が凍った。
殴られた男は、それ以上何も言わずに慌てて走り去り、道行く通行人たちも見て見ぬ振り。
彼が吐き捨てた英語は、速すぎてなんて言ったのか、分からなかった。
「みわ、怪我は?」
「ひ、氷室さん、私は大丈夫、ありがとう! もう、行こう!」
通報されないうちに、と私たちは早々にその場を去った。
「美味しいかい?」
極上の笑顔を向けてくるのは、正面に座った氷室さん。
質の良い赤いテーブルクロスが、彼の肌の美しさを際立たせている。
「う、うん、おいしい」
美味しいんだけど、彼へのドキドキのおかげで、きっと味覚の感度は何割か減少しているだろう。
結局、駅前での一件でオロオロしていたのは私だけで、水族館に行ったり、ウインドウショッピングしたり、彼はいつもの通りだった。
今日は1日暖かくなると天気予報で言っていたのに、夕方になるといきなり気温が下がった。
カーディガンじゃなくて薄手のコートにすれば良かった、と後悔していたら、突然彼に後ろから抱きしめられて。
「ひっ、氷室さん!?」
「寒いから、移動しようか」
もう、そこからはあまり記憶がない。
夕食は、彼が予約してくれたらしく、突然の抱擁にドキドキオロオロしている内に、日本人なら誰もが知っている、超有名ホテルの展望レストランへとエスコートされてきたのである。
美味しい、んだけれども、それ以上に緊張してしまって……。
絶対私、こんな場所じゃ子どもに見えてる。
流麗なカトラリー使い、口に運ぶ流れに目を奪われている場合じゃない。
会話、しなきゃ。
テーブルマナーにも不安があったけど、氷室さんは、さりげなくリードしてくれて。
このひとの、こういうところが好き。
時々、驚くほど直球で無神経な事を言ったりするけれど、もう、全部好き。
あー、好きだなぁ……