第3章 ひやっこい薄膜。
声をかけられた紡が本から視線を上げているのが、背後からでもわかる。
「き、昨日は、ありがとうございました!」
ぺこりと頭を下げ、紡を見つめるまなかの頬はほんのりと色付いていた。
この教室の中でこの二人のやり取りに聞き入っているのなんて、私くらいしか居ないだろう。
「体調は?」
「ぁ、はい!すこぶる元気ですっ!」
紡の抑揚のない声とは反対に、まなかは両手で握り拳を作って応える。
「彼は?」
「彼……?」
その唐突な一言だけの疑問符に、私もまなかのように首を傾げていたが、少しして昨日のことを思い出した。
紡がパンくずを食べさせようとしていた、ぎょめんそうのことを。
それにまなかも思い至ったのか、「あぁ!」と声を上げながら半歩後ろに飛び退いて慌てだす。
「えっ、えぇっと!」
何か考え込むような顔をして、少しの間両手の人差し指を立てて天井に向けていたまなかは、突然両手で口元を覆い隠して言った。
「ゲ、ゲンキダヨッ」
きっと、まなかが必死に考えたなりの、自分の膝にはもういない❝彼❞の真似だろう。
ちらりと紡の顔色を窺うように見ていたまなかだったが、両手を下ろして恥ずかしそうに目をきょろきょろさせる。
そんなまなかの後ろからずんずんと近付いて来たのは、いつから話を聞いていたかもわからない光だった。
不機嫌の色を隠しもしないで、光はまなかと紡の間に割って入る。
「昨日はまなかがお世話になりました」
心にも思っていないような台詞を口早に言い切る光は、紡の机に乱暴に手を突いて続けた。
「今のうちに言っとく」
「地上のやつらが海の村に関わるな」
紡に詰め寄り、そう言い放った光は私の机の横を通り過ぎて、教室後ろの扉から出て行く。
そのあとを追うようにして、困ったような顔をしたまなかが紡にぺこりと頭を下げ、同じように出て行くのを見ていた。
(海の村に関わるな、か……)
先に線を引いて、逃げてしまえば楽なんだろうか。
どうすることが正解で不正解かも、大人でさえ知らないような、そんな気がする。
だけど私達は、ここでのこれからを考えて行かなくちゃいけないんだ。
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