第1章 MYRORD
スタインベックが我ながら仕様もないと苦笑するのにラヴクラフトは何の反応も示さず、不意に淡々と語り出した。
「ロード・ダンゼイニはぺガーナ神話に於いて薄明の世界を紡ぎだした。私はそこに行きたい。いや、行き先は絶無の都でもいい。いずれにせよ、彼の薄明かるく薄暗い嫋嫋とした世界は私を魅了して止まない。その曖昧かつ究めて確固たる麗美な感覚・・・」
ここでまたラヴクラフトは拳を握り、ブルブルと震えだした。
「そこにA感覚だV感覚だのいう下賤な事を言い散らす男に介入して欲しくない。ま、まして、た、たた、蛸やい、いいい、いか、烏賊を喰らすよ、ような、た、蛸・・・烏賊・・・・」
「・・・・泡吹いて倒れないでよね。相方の世話は契約の条項にないんだから僕は知らないよ、ラヴクラフト」
「蛸・・・烏賊・・・・」
「蛸烏賊と足穂とどっちが嫌いなんだか自分でもよくわかってないんじゃない、君?いや・・・・ただの悋気かな?ああ、うん。そうだ、多分君は自分だけのミ・ロードに足穂が横恋慕してるような錯覚に囚われてるんだよ」
「錯覚?」
「足穂に会ってみれば?案外気が合うかも知れない」
ほぼ完成したスプーンを満足そうに眺め、スタインベックは他人事ゆえの事もなさであっさりと言う。
「それにミ・ロードなんて御大層な相手より、そんな風に罵れる相手の方が余程日常的な親しみに溢れていると思うけどね?君が身も世もなく嫌いなものの代名詞みたいになっちゃってるじゃないか、足穂は。これはなかなか興味深いよ。よく考えてみてご覧よ」
スタインベックはにやりと笑って腕組みし、椅子の背もたれに寄りかかった。
「気付いたら君、足穂の為に木のスプーンを削っているって事もあり得るよ?」
「・・・・・」
眉根を寄せて話を聞いていたラヴクラフトは、ガックリと首を傾げースタインベックが苦笑するー目を瞬かせた。
「そんな事が起こり得る?この身に?」
「もしかしたら足穂は蛸烏賊嫌いかも知れないし、勿論日本人だけに大好きな可能性もあるけど、そこまでは僕の知ったこっちゃない。でも、薄明を共に歩む同士がいるのも悪くないだろ?そんな相手を得るのは、少なくともミ・ロードの為にスプーンを削り出すより建設的じゃないか」
「・・・・・・・・・・・」
沈思黙考。
この日、ラヴクラフトはこれきり口をきかなかった。