第35章 海へ来たらば ー暁with黒の教団ー
そうして陰キャの集う浜。
「随分遅いお帰りでしたね」
小南に飛び蹴りを食らっているペインと二万両出して角都から四百グラムの餡この塊を買い取っているイタチを、ゲッソリしながら見比べていた牡蠣殻に大きな人影が被さる。
「…干柿さん。ちょっと今は叩くとか抓るとか鮫肌で弁慶の泣き所とかは勘弁して下さいよ…。凄く疲れました。本当に凄く疲れてるんです」
目の下に隈を浮かべて、牡蠣殻は傍らに立った鬼鮫を見上げた。鬼鮫は腕組みして波打ち際の角太郎を眺め、牡蠣殻と目を合わせない。
「あなたには珍しく人の役に立ったようですね。そもそも親切なあなたというのが珍しい」
「いやーそんな…。謙遜のしようもない言われようですねえ…」
「人助けは日頃心掛けていれば出来る事でしょう。海に来てまでわざわざ何をしてるんです、あなたは。見なさい。もう日が暮れてしまいましたよ」
「いいですよ、日が暮れたって。泳げる訳でなし」
「時間を無駄にしましたね」
「折角人の役に立ったというのにこれまた何たる言われよう…」
「さして時間がある訳ではないんですから」
「何ですか。また寿命の話ですか。それなら貴方にどうこうされるまでもなく縮まったと思いますよ。功者扱き使うと早死にするんですからね」
「…さして時間がある訳ではないんですから、ふらふらするのは止めて欲しいですね」
「…何の時間の話です?」
「自分で考えたらどうです」
素っ気なく言うと鬼鮫は口を噤んだ。
珍しく気まずくなって、牡蠣殻は夕日が沈む海を見遣る。
水平線に朱いラインがくっきりと走って、溶けるように沈む陽が見る間に小さくなって行く。
「…あれ?…懐かしい…」
思わず呟いた。幼い頃、まだ磯が定住していた昔、毎日の様に眺めていた夕間暮れの景色。波の音、海の風、潮の香り、家々から漂う夕餉の匂い。
「久し振りです。日没を見届けるのは」
ぼんやり言うと皮肉げな声が返って来る。
「あなたもそれで忙しい身の上ですからね」
「はは。ここ暫くゆっくり海を見ようなんて意識した事もなかったです。その気になれば何時でも見れるものだくらいに思っていたから」
苦笑いした牡蠣殻を鬼鮫がチラリと見下ろした。
「有り難みがわかっていない」
「そう。そういう事みたいですね。当たり前のものなんかじゃないのに、思い込みって怖いものです」