第27章 磯 其の四
元々の俊英らしいけれど、ここに来て功者の兆しを見せ出したのだとか。
珍しい話じゃない。
むしろ兆すのが早いくらいだ。功者は年経て見出されるもの。父様だって功者の兆しが現れたのは三十を過ぎた辺りだったと聞く。波平や磯辺のように幼いうちから功者である方が珍しいのだ。
海士仁とかいう新顔の功者は藻裾の親戚、つまり私の親戚でもある訳だけれど、私とは面識がない。
潜師のくせに父親と二人で山を彷徨いて野師のような暮らしをしていた変わり者で、知り人も少なく、隠者のような男と聞いた。
その変わり者に、会ってみてもいいと、いや、会いたいと思う。巧者には興味がある。
私の腕にしがみついてお魚天国を歌う藻裾の頭を撫でる。幼い藻裾の柔らかい髪はまだ少し潮水に濡れていて磯臭い。海の匂いだ。
皆連れてあの場所に戻りたいな。
磯と崖に挟まれた磯の里。
険しい崖と岩だらけで船がつく事も出来ない磯浜に挟まれた磯は、傍目に住みよい里じゃなったかも知れない。でも、私達にはあそこが在所、一番の土地。
浜の湧き水の産湯に浸かって、見晴らしよく海を臨む崖上の墓所で土に還る。
それが私達。そうじゃないの?
「藻裾は、前の暮らしに戻りたくはない?」
優しく聞いてみると、幼子はきょとんとした。
「前の暮らし?」
「今みたいにあちこち行かなくてもいい暮らし」
「あちこち行かなくてもいい暮らし」
藻裾は籠の昆布をこねくり回して考え込んだ。
「わかんないです。あんまり覚えてないから。今みたいじゃない頃の事」
ハッとした。
「覚えてない?」
「うん。覚えてない」
磯の暮らしが遠くなっている。思わず知らず、唇をきつく噛み締める。
このままじゃいけない。
本当に磯が流浪の里になってしまう。彷徨い続ける不自然な暮らしで里が保つ訳がない。いずれ先細りになり、磯は消える。
「杏可也様」
ほとほとと天幕を景気悪く訪う音がした。天幕では訪いの合図さえ様にならない。
「おう、汐田の末娘が来ておりましたか」
天幕の隙間から長老連の長、沖浪が顔を出した。ひょろひょろして優しげな、でも油断ならない賢い男。
「嬢様を困らせているのか、藻裾」
苦笑いして藻裾の肩にそっと手を置く。磯の者は一体に気配を薄めるのが上手いが、この男はそれが顕著だ。目の前にいてもいないように振る舞える。変な話だけれど他に言い様がない。