第25章 磯 其の三
「私のときは獅子は兎を狩るにも全力を尽くすと叫んでいましたが、あれは恐らく獅子は我が子を千尋の谷に落とすと言いたかったのだと思います。間違えちゃったんですね」
…面白いけれども。藻裾ったら。
「牡蠣殻は泳げないから大変だった。結局は突き落とした藻裾自身が助けに行ったんだったな?」
「アイルビーバックって叫びながら飛び込んで来たので、むしろ息が詰まってしまいました。凄いお子です。お小さいのに色々と知識が豊富で面白い方ですが、私は泳げないのでもう彼女と一緒に海に近付く事はないと思います」
「うむ。お陰で悪魔の実がどうのこうのと随分懐かれたようだが、あの子は何をしでかすかわからぬからな。…いずれ大事なくて何よりだった」
先生が苦々しく独り言ちた最後の一言が引っかかったが、泳げないならそれも当然の事かと納得する。
牡蠣殻が、誰からも目を逸して小さな頭を俯けた。
「けれど、そこが良いところのように思います」
僅かに憧れるような声音。
私はこういう変化を見逃さない。見逃さないというより、わかる、そう、わかる。
「そうね。あのコは良いコよ。ねえ、何で藻裾を友達じゃないと思うの?」
優しく話しかけると、牡蠣殻が迷子のような目で私を見る。
「私が思ったとしても、相手が思ってくれなければ友達とは言えないと思います」
そう言うと牡蠣殻は再び俯いて小さな声で言った。
「…それに、私に友達は難しいかと…」
「お聞き及びとは思いますが」
先生が厳しい声で割って入った。
「この牡蠣殻は体の質が余人と違い、気配りせねばならぬ事情があるのです。私としては探索方からも暇を願いたいと思っています」
「……」
何の話だろう。聞き及ぶ?
先生は訝しむ私たちを見てハッとしたように口を引き結んだ。俯いたままの牡蠣殻を改めて顧みて、きつく眉根を寄せる。
「いずれこの牡蠣殻は何時探索に出るかわからぬ身故、友と親しむ暇はありません」
藻裾とも溺れて以来会っていないと先生が言う。
牡蠣殻はそんな先生の陰で悄然と俯いたまま。
よくわからない。わからないけれど、私の中でいつものようにふたつの心が動き出した。
陰と陽。
善と、…悪?これは、悪い心かしら?
波平がじっと牡蠣殻を見ている。痛いように見ているくせに、牡蠣殻が顔を上げたらばすかさず目を逸らすのだろう。