第25章 磯 其の三
探索方と言えば里人の行方を探る特殊な仕事だ。山縁の崖の切り立った磯場の傍に里を構える磯だから、どうしても海に呑まれる里人が出る。山ではぐれる里人もある。彼らを探し出し連れ帰るのが探索方。
正直気持ちいい仕事ではないし、第一この仕事には特別な力が要る。
「…探索方。では、磯辺は巧者?」
波平が前のめりになった。波平もまた巧者、そして巧者の数は多くない。興味が増すのは当たり前だ。
「まだ小さいのに探索方とは、磯辺は優秀なのですね」
同じ巧者でも波平はまだ探索方を務めた事がない。十二才になるまではどんな巧者でも基本探索方を務めたりしない。だから、小さな牡蠣殻が探索方というのはこれもまた、凄く珍しい事だ。
「働かざる者食うべからずです。私は里に独りですから、自分の口は自分で養うよう大先生に言い付かりました。私にも出来る務めとして大先生が探索方にお口利き下さいまして、末席に加てて頂いたのです」
牡蠣殻は妙に生真面目な顔をして淡々と言った。
大先生とは深水先生のお父様の事だ。当然、先生より腕の立つ薬師であられる。お優しくて子供好き、でも厳しい方だ。最近は病がちで臥せられている事が多い。
「お陰様で人様のお役にも立てて有り難い事です」
私はまた波平と顔を見合わせた。厳しいけれど優しい大先生の事だから、きっと考えがあって牡蠣殻を探索方に置いているのだろう。
でも、だとしても、随分厳しい。
探索方は建前で言うと、生死を問わず里人の行方を探す職務。しかし有り体に言えば水死体や遭難者の遺体の発見回収を請け負う務めだ。
牡蠣殻はそんな仕事をするのに幼過ぎる。
大体牡蠣殻の年で安定して失せるなんて、そんな真似が出来るのか。
磯の里の者は姿を消して違う場所へ身を飛ばす事が出来る。皆が皆、出来る。
そうして姿を消して身を飛ばすのを、失せるという。
その中でも、我が身だけでなく、他者を伴って失せれるのが巧者。力の強い巧者ほどより大勢失せさせる事が出来るし、より遠くへより正確に思う場所へ現れる事が出来る。のみならず功者は他の失せる力を増す。功者がいなければ里人は遠くへは失せれないし、失せる場所を上手く特定する事も出来ないのだ。
その巧者の対極に不失の者というのがある。文字通り、失せる事の出来ない者の事。
この私がそれだ。