第22章 厄介な誕生日
大きく一歩踏み出した鬼鮫に逃げる間もなく頭を叩かれた牡蠣殻が、ガクンと洗面台から手を滑らせて床に尻餅を着く。ご丁寧に洗面台で後頭部まで打って、もうどこが痛いのだか定かではなくなってきた。
「何なんですか、一体!?朝から訳が分からなすぎて怖いですよ、干柿さん!」
珍しく声を荒げた牡蠣殻を鬼鮫が満足そうに見やる。
「そうですか。怖いですか。良かったですね。いい誕生日になって」
「……は?」
牡蠣殻が訝しげに目をすがめた。
「誕生日でしょう?」
重ねて言われ、手に握ったままの干し柿に目を落とす。
「……まさかこれは誕生日の祝いの品?」
「そうですが何か?」
「……いや、私、菊だけでもう…。大体干し柿は……その、贈答品の類いとしちゃ…ちょっと人を驚かせるんじゃないかなぁ…と……ふ…くく…ッ」
「何笑ってるんです?因みに菊はイタチさんが摘んで来たのであって、あなたに一切関係ありません」
「?…そうですか?まあ、あの方らしい美しい気遣いですね。で、貴方はこの干し柿の為に早起きして鏡に落書きして私をここまで誘導したと、そういう事でいいんですかね?」
「六割方そうですかね」
「そうですか。…何だか面白い事しますねえ…。あー、まあその、ありがとうございました」
牡蠣殻は笑いながら立ち上がって鬼鮫に頭を下げた。
「誕生日覚えていて下さったんですね」
「あなたはすっかり忘れていたようですね」
「ねえ」
牡蠣殻が可笑しそうに鬼鮫を見上げた。
「鬼鮫さんでも冗談みたいな事するんですねえ。うん。訳がわかったら面白かったです。わからないうちは怖かったんですが」
鬼鮫はマジマジと牡蠣殻を見下ろして溜め息をついた。
「…そうですよ、冗談ですよ。真に受けてそれだけ受け取ってどうするんです。一輪挿しに生けてあるものはあなたのものですよ」
「あ、やっぱり菊も貴方からでしたか」
「やっぱり?」
「何となく冬の菊は貴方を思わせるところがありますから…ん?理由になってないか?」
「…つくづく妙な事ばかり言う人ですね、あなたは」
「そうですか?」
首を傾げながら一輪挿しから菊を抜き取った牡蠣殻は、カランと陶磁器を鳴らしたものに気付いた。
小さな赤玉が付いた黒漆の一本簪。
「…あのぉ…干柿さん…?」
「生けてあるものはあなたのものだと言ったでしょう」