第20章 磯 其の一
険しい顔を振り向けると、自暴自棄に薄笑う海士仁と間近く目が合った。
「互いにいい面の皮だった」
「・・・・何を言いたいんです?」
背中をスウッと冷たいものが走った。不愉快だ。たまらなく不愉快だ。
海士仁は牡蠣殻の腕を引いて歩き出した。
「師を恋うていただろう」
「私はお前と違う。手を離しなさい」
「杏可也が憎かろう」
「・・・・何を言って・・・・お前、先生が憎いのか?そこまで・・・・」
そこまで杏可也が好きなのか。
不意に怖くなった。海士仁が知らないもののように思えた。
「諦めなさい。海士仁。先生を憎んでも杏可也さんはお前のものにはならない」
「否」
「馬鹿。諦めなくてどうする。他に仕様がない事なんだぞ?」
「否」
牡蠣殻は海士仁の手を振りほどこうと腕を引いた。
「何故厭なのか、磯辺」
振りほどかれた海士仁が牡蠣殻の腰を抱く。牡蠣殻はぎょっとして、反射的に失せた。
流石にこの海士仁を放ってもおけず、間近にまた現れたものの近寄る気にもなれず、往生する牡蠣殻に海士仁は乾いた笑みを向けた。
「師より他の者が直肌に触れれば怖気が立つのだろう?何故なのか、磯辺」
長い足が大きく踏み出される。
「波平でさえ、髪越しにしかお前に触れぬ」
牡蠣殻はよろけるように海士仁から退がった。
「藻裾を汐田呼ばわりして距離を置くのは何故だ?」
海士仁が更に踏み出す。
「すぐ触れてくるあれが怖いのだろう?」
「何の話だ?止めろ海士仁」
「深水師だけが特別」
「違う。お前は事を曲げようとしている。海士仁、 駄目だ」
「杏可也が憎かろう?」
「私に同じものを植えつけようとしても無駄です。私は杏可也さんを憎みなどしない。絶対に」
「絶対?人の気持ちは移ろう。絶対など有り得ない」
「私は、杏可也さんを憎みなどしない。絶対に」
挑みかかるような目で海士仁を睨み付け、牡蠣殻は両の足を開いて踏ん張った。
「馬鹿海士仁。もう知らん。好きにしろ」
聞きたくないし、話したくない。
牡蠣殻は青い顔でじっと考え込むような目を向けて来る海士仁に突き放した一瞥をくれて、その場を失せた。
不愉快だ。たまらなく。