第3章 無給労働
(まさか)
有り得ない事態が鬼灯の目の前で起っていた。
彼が振るう金棒はかなりの重量がある故に、そうそう簡単に持ち上げられる訳もなかった。
だが、目の前の筋肉皆無な娘が、その金棒を振り上げていたのだ。
目が座っている。
「衣食住の為に働くのはいい、だけどコレまで面倒みるのは違うだろがぁぁぁ!!」
コレとは粉々に砕かれた大理石の床のことだ。
理不尽な鬼灯に堪忍袋の緒が切れてしまったらしい。
様子を伺っていた閻魔大王がふいに口を割る。
「ほ、ほら、鬼灯君、修繕費は予算から出せるから…あの、鬼灯君?」
横顔をみてぎょっとする。
鬼灯が、あの鉄面皮の鬼灯が笑っていたのだ。
閻魔大王は思わず後ずさる。
「鬼灯君、顔!顔が怖いから!なんで笑ってるの!?笑うところなの!?」
「ただの娘が私の金棒を悠々と振り上げているんですよ?面白いじゃあないですか」
いやそれはそうだけど、と言うが、どっちかというと鬼灯の笑顔の方がアレすぎてドン引きしている。
「もうね、訳分からん事態になっててでも頑張って環境適応しようとしたけどね、無理、もう無理」
叶弥は金棒を思い切り鬼灯へぶん投げると、鬼灯は余裕でサッと躱してしまって叶弥はそれも気に入らない。
今まで渡ってきた世界では、記憶がない故に身の振り方もわからなかった。
だが、今は違う。
姿はこんなだが、叶弥はそれなりに社会経験を積んだ立派な成人なのだ。
わざわざこんなところで油を売る必要もない。自分のことは自分でなんとかできる。
「ということで、監視されるくらいなら逃げる!」
「あっ」
来た当初の弱々しい感じはどこへ行ったのか、脱兎のごとく一陣の風を撒き散らして、叶弥は閻魔殿の外へ出ていってしまったのだった。
「はぁ、なんだか突風みたいな人ですね…」
いつの間にかそばに来ていた獄卒の一人が呆然と見送りながらそう話すが、鬼灯は表情を変えずに逃げた方を見つめている。
「勝手に降ってきて、勝手にこちらを掻き回して、更に物を壊して逃げるとは…全く、いい度胸です」
「鬼灯君、どうするの?」
「地獄は広大です、逃げ切れる訳もありません。各部署へ指名手配の顔写真を回しておいてください」
監視対象ですからね、と、いつの間にか撮られていたらしい叶弥の写真を差し出したのだった。