第11章 愛しい人へ(前編)
「………彼女は……ここにはいません。」
一瞬だが確かな間を空けて、ようやく口から出せたのがその言葉だった。私を呼びに来た獄卒はチラリをこちらを伺うが何も言わない。
嘘をついてはいない。
彼女はここには、地獄にはいない。
「そうですか……」
男はゆっくりと立ち上がると再び肩を押さえ、苦笑いをしたかと思えば、頭を深く下げた。
「お騒がせしてすみませんでした。列に戻ります。」
「……ええ。」
男は行くぞ、と獄卒に腕を取られ、体を反転させられながら、こちらに顔だけを残そうとしている。
「最後に、貴方、彼女と親しかったみたいですが……その…………あの子は………さゆは、こちらで笑ってましたか?」
「……ええ。」
ああ。これはもう確実だ。
「ありがとうございます」と言い残し列へと戻る男の背中を見送る。
あの男は、彼女を愛していたのだろう。
あの笑顔を、心から。
まだ死んだばかりの、あの列の1人だった彼女のことを思い出そうとするが、浮かぶのはここ最近扱った亡者や、いつもの、友人になってからの彼女の笑顔だけだった。
「…………」
今まで調べようとすれば調べられた。
けれど調べなかった。
聞かなかった。
白澤さんも同じだ。
生前の彼女について問われたことはないし、白澤さんが調べに来たという話も噂にも聞いたことがない。
知る気が無かったのだ。
今の彼女さえ、知っていればいいと思っていたから。
知るのが怖かったのだ。
彼女がかつて愛した人の話を聞くのが。
もしかしたらあの男の片想いかもしれない。
彼女はあの男の存在さえ知らないかもしれない。
けれど
あの男は私や白澤さんなんかよりもずっと彼女を深く知っているように感じた。
「……ホント、何してるんでしょうね、私は…」
男とは逆の方向へと体を向けると、地面が再び音を鳴らす。
ザッザッとなる自分の足音が、いつもよりも早く聞こえた。