第1章 その香りの先に
「・・・おそらく朝までは目を覚まさぬだろうな」
ナルサスはカナヤと名乗った彼女の様子をうかがうと、気を取り直してエラムに食事を出すように促す。
アルスラーンは後ろ髪を引かれる思いだったのだが、ここにいても何も出来ないと悟ると腰を上げて彼らに続いた。
「・・・」
ダリューンが名残惜しげに繋いだ手に力を込めると、そっと彼女の掛け布団に押し込んだ。
閉じられた目から一筋の涙が溢れる。そっと指先で拭ってやると、いくらか穏やかな顔になったように見えた。
「・・・おやすみ、カナヤ」
優しく、誰にも気づかれぬように、耳元で囁いた。
「しかしダリューン、おまえはつくづく拾い物をするのが好きよなぁ」
「……っ、どう意味だ!」
食事を終えた後に今後の身の振り方を話し合うと、疲労しきったアルスラーンを先に休ませた。
眠るのを見届けて居間に戻ったダリューンは、小馬鹿にしたようにクックッと声を漏らすナルサスを睨みながら声を荒げる。
「シィー、殿下と眠り姫が目を覚まされてしまう」
チ、と軽く舌打ちをしてどかっと胡座をかく。
つくづくとは、ナルサスに思うところがあったから言ったまでなのだが、それがダリューンには気に食わない。
気を取り直すように息をつくと、カナヤをここに連れて来るまでのことを説明した。
「俺ではない、殿下があの者を見つけたのだ」
「ほう、だが生きているとはいえ、捨て置いても良かったのでは?ましてやその状況下、誰かを助けるような余裕もあるまい」
「それは…」
返答に詰まったダリューンは眉間にシワを寄せて視線を逸らすと、ポツリと漏らす。
「何故か助けなければならん気がしたのだ。他意は、ない」
歯切れの悪い答えにらしくもないなとナルサスは言うと、茶を啜りながら続ける。
普段のお前なら、不審者なぞ殿下の安全第一を考え連れて来るようなことはないだろうに、と。
ダリューン自身にも分からなかった。
身なりも違う、己の名前だけしかわからぬという娘。
いくら女とはいえ、アルスラーンを狙ってのひと芝居かも知れないという可能性も大いに有り得るのに、だ。