第1章 その香りの先に
「それにアルスラーン殿下が助けてくれまいかと言ったのだ、無下に断る理由もない。なによりあの娘、武器などは全く持ってはおらぬし、あの華奢な体躯では何も出来まいよ」
「ふむ……」
象牙色の長い髪を揺らしながら手を顎に当てて何やら考えるナルサス。イマイチ納得できる理由も見当たらないのだが、なるほど、とても戦えそうな感じでもなかった。
ただ尚更…と思うのが、丸腰でなぜあんな所にいたのかと言う点だ。
「異国の服を身にまとった娘・・・か。どこぞの身分が高いものかも知れぬな」
チラと見ただけだが、いい素材の生地を使った衣服のようだった。ゴラームにしては衰弱しているとはいえ肌の状態も良かったし、何より雰囲気がそうではないと物語っていた。
たまたま巻き込まれただけなのか、いずれにせよ彼女の体力回復が先決だ。
「食事には粥もあった方がいいだろうな。─エラム」
「既にご用意しております、そう言われると思いましたので」
聡い子だ。
あれだけ不審がっておきながら、状況をよく見て理解して動いている。ナルサスがエラムを傍に置く理由が、改めてわかった気がしたダリューンであった。
夜も更けて、梟の声が辺りに遠く響き渡る。
カナヤはすきま風の冷たさに目を覚ました。
(……夢じゃ、ないのか)
混乱を通り越して頭が呆けてしまったのだろうか、気を失う前の記憶が虚ろなままだった。
徐々に覚醒してゆく視界に、手桶が映る。
(喉が乾いた)
生理的な欲求に従い樽を覗いて、手で直接掬って口元へと運ぶ。
しばらくぶりなその感触に我慢ができず、口の端から零れる水に構わずに幾度か啜った。
「う……けほっ」
気管に僅かに入ってしまい俄に咳き込む。
その声にアルスラーンは目を覚ました。
木の床が軋む音に、カナヤはビクッと振り返る。
月明かりが、彼の美しいプラチナブロンドの髪を照らし出した。
「あ……すまない、もう大丈夫なのか?」
「……」
「私はアルスラーンだ。おぬしはカナヤと言うのだろう?先程目が覚めた時に、そう言っていた」
「私は、カナヤ……そう、カナヤ」
自分自身を確認するように目を見開いて繰り返すと、はっとしたのか、カナヤはアルスラーンに頭を下げて、有難うございます!と幾度か礼をした。