第3章 見えなくとも傍らに
記憶がないはずのカナヤに残っていたらしいそれは、彼女自身を癒すと同時に聴くもののざらついた心を凪ぎ、彼方へ追いやるような不思議な魅力を持っていた。
「不器用ですからね彼女は。いえ、器用貧乏かも知れません」
「カナヤと仲が良かったからなエラムは…正直羨ましくも感じていたのだ」
羨ましい?どの口がそれを言うか。
エラムからすれば、アルスラーンの後ろにしょっちゅうついてまわるカナヤをよく見ていたので、寧ろ、
「私の方が嫉妬するくらいだって言うのに」
「…え?」
「いえ、なんでもありません」
黙々と朝食作りに励むエラムにそれ以上何も言えずに、アルスラーンは苦笑いをした。
次いで、唇を尖らせて何かやっている。
「…何をしてるんですか?」
「や、カナヤがやっていた口笛を吹いてみたくてな、やり方は教わったのだが、どうも上手くいかぬ」
スーとかフーにしかならないのに、必死に口笛を吹こうとするアルスラーンが可笑しくて、エラムはつい吹き出しそうになる。ギリギリのところで堪えて朝食作りに集中すると、アルスラーンはとんでもない質問を投げつけてきた。
「エラムは、カナヤの事が好きか?」
「……げほっ、えほっ…な、なんですか藪から棒に!」
唐突なその質問に、聞き耳を立てていたダリューン達はつい身じろぎして声が出そうになる。
すんでの所で口を噤んだ彼らは、必死に二人の声に集中した。
「私は好きだ、カナヤの事が。ただ、所謂恋とかそういうものかどうかまではわからない」
恥ずかしげもなくそういうアルスラーンの目は真剣で、自分の気持ちが何であるのかきちんと向き合おうとしているようだった。
何も言えずにいるエラムに、再度質問を投げかける。
「私は…私もよく分かりませんね。人間的に嫌いでないのは確かです」
「上手く逃げられた様な気がしなくもないな」
「正直な気持ちですから。ただ、放っておけないとは思いますね。記憶喪失でもありますし…何よりカナヤには自分が女性であるという自覚がなさすぎです!なんだかんだで仕草がイチイチ蠱惑的なんですよ。いつ他の男に拐われるかわかったもんじゃありません…そういう意味にも於いて」
なんだそれは、つまりは好きって事じゃないのか。
アルスラーン以外の者全員が内心そう突っ込まざるを得ない回答であった。