第3章 見えなくとも傍らに
エラムの声を無視し、その横に座り込んで様子を見た。
小麦と水を混ぜ合わせて練っているところを見ると、どうやら明日の朝食はパンらしい。
談笑…というにはまだ堅苦しさが残るやり取りだが、年の近いエラムの存在はアルスラーンにとって貴重であった。
会話の途中、アーザートになったエラムがこうしていられるのは、ひとえにナルサスの存在と彼自身の技術あってこそなのだと悟る。
ナルサスは五年前はダイラムの領主だった。
彼が所有するゴラームが集まる場所へ来て、何食わぬ顔でエラムが作った料理を美味しいと言った上、さらに彼の名を覚えており「名のある一人の人間だろう」とも言ったのだという。
これまでそんな事を言った領主なぞいなかった為、エラムを始め周囲が非常に驚いていたらしい。
そんな彼に尊敬の念を抱いたエラムは、料理の腕を上げるために日々努力をしていたのだと言う。
「エラム、おぬしと話していると希望が湧いてくるぞ!ゴラームを解放してアーザートとして生きさせるために、技術を付けさせてそれを支える社会制度がいるだろう…エラムはどうしたらいいと思う?」
「わっ、私はナルサス様じゃないので難しいことは分からないですよ!というかさっさと寝てください殿下!」
その顔は年相応の笑顔であり、アルスラーンがいかにエラムを認めて必要としているかがよく分かるものだ。
対するエラムは若干迷惑そうな顔をしつつも、そこに嫌悪感は微塵も見えなかった。
焚き火の周りでは、ダリューンを始めとした仲間が聞き耳を立てていたとも知らずに。
ふと会話が途切れて、アルスラーンは暗い森に目を向けた。
「…カナヤ…」
「…」
「すまぬ、おぬしを責めているのではない。逆の立場であっても同じ結果だったかも知れないのだ。カナヤの出自を知るために、私も同じ事をしていただろう。ただ」
「…ただ?」
冬が近いせいか、息が少し白く煙る。
頭上の星屑を見上げてほぅ、と息をついた。
今夜は月がない。星がいつもより輝いて見えた。
「たまに歌が聞こえるのだ。気のせいかも知れないが…カナヤはおそらく無事なのだと思っている」
幻聴なのかも知れぬがな、と眉を恥ずかしそうに下げた。
そう言えばカナヤは時折歌を歌い、口笛を吹き、自然と戯れる様なことをしていた。
それが思い起こされていたせいだろう。