第2章 レーゾンデートル
「ホディール卿の愛娘を、妃にと暗に言われたわけか」
「暗にというか、露骨にだな。強欲な男よ」
むむ、とダリューンが忌々しげに眉をしかめた。
まだ会ったこともないのにと、些か的外れな…いや、アルスラーンにしてみれば大事な事かもしれない一言に、ナルサスは苦笑する。
問題はホディールの欲がありありと突きつけられた点だ。
あの男、殿下を本気で傀儡にしたがっているのだろうとナルサスは漏らすと、先程の香について触れた。
「まあ、あんなものを部屋に置くような奴です。見え透いたおべっかに乗るほど、我々は馬鹿ではない」
大方寝込みを襲って自分達を亡きものとし、アルスラーンを助けるフリをして権力をもつ、或いは首を討ち取ってルシタニアに献上する、そんなことでも考えていたのであろう。
媚びへつらったあの顔を思い出して、ナルサスは冷ややかな視線を天井に向けた。
「部屋に入るなり早々ホディールに言われたのだ…自分の娘を妃とし、奴隷解放などというパルスの伝統を打ち破るような過激な改革は慎むこと。この二点を条件に上げてきたのだ」
食えぬ男だ。こちらが少数であればこそ、そのような強気な交渉を持ちかけて来たのだろう。というより、最早脅しに近い。
カシャーン城塞には三千の騎兵及び三万五千程の歩兵がいる。こちらが味方や兵力を欲している事を逆手に取ったやり口だ。
あちらにしてみれば、懐に飛び込んできたご馳走みたいなものだろう。
同意すれば権威を持てるし、断ればその兵力でもってアルスラーン達を一網打尽に出来る。
しかし彼の唯一の誤算があると言えば、アルスラーン達がホディールの口車に乗るほど素直に出来てはいないという点だ。
「で、返事はなんと?」
「今すぐには答えられない。明日にしてくれと」
「それでいいでしょう」
アルスラーンの近くにいるナルサス達は邪魔でしかなく、どのみち狙われる運命だろう。
ナルサスの頭はここからの流れを読み解き、且つどう立ち回るかに使われていた。
おそらくホディールは今夜の内にでも動くに違いない。わざわざオアズケをされて待てをするような人物でもなさそうだった。
「殿下、そういうわけです。いつでも出発できるようにご用意ください。…ギーヴは殿下を部屋に送り届けてくれるか?」
「承った」
アルスラーンとギーヴが部屋を出たところで、ナルサスはエラムに耳打ちをした。