第2章 レーゾンデートル
「まあ、話したところで支障はなかろう。カナヤとはな、戦場で出会ったのだ。…あのアトロパテネ会戦だ」
「…なんと。ではその方は兵だったのですか?」
「いや、全く関係ないと思う。身なりも見慣れぬものであったし、なにより彼女は…記憶がなかったのだ」
パルス国が落ちたアトロパテネ会戦。
その戦場に部外者の、しかも記憶喪失の力無き娘が1人、倒れていたのだという。
変な話だ。何故そんな混乱に乗じたように現れたのか。
アルスラーンが嘘をつくとは思えないのだが、聞く限りだとカナヤという娘は異質すぎる。
そんな娘1人を助く為に、ダリューンまでもが動いたのか。
あまつさえ天下の切れ者であるナルサスまで娘を受け入れた上、王都エクバターナへの潜入に同行させて、さらにそこから行方不明だと。
「…殿下、お人好しも度が過ぎると、痛い目に合いますよ」
間者の可能性を示唆したその口振りに、アルスラーンは片手を上げて制した。言いたいことはわかるのだ。
だがカナヤは間者などではない。
れっきとした証拠はないのだが、最早それは彼にとっては確信に近いものであったのだ。
「会えば、ギーヴもきっと分かってくれると思っている」
混じり気のない純粋な瞳でそう返されたギーヴは、二の句が告げずに押し黙る。
なにが彼をそこまでそう思わせたのだろう。その娘に殊更興味が湧いた。
「会えれば…ね」
「…」
少し意地が悪かっただろうか。訂正するように、きっとその内会えますよ、とだけ付け足した。
全くこの王子は変わっている。だからこそ、その得体の知れない娘にも巡り会えたのだろうか。
単にお人好しだけではない、人を見抜く力もあるからこそ、ダリューンやナルサス達が付き従っているのだろう。
身分に関係なく、分け隔てない優しさを与えることを惜しまない王子。
もう少し様子を見てもいいか、そんな気持ちになるのはきっと気まぐれだと、自分に言い聞かせたのだった。
ふいにゴトリと扉が鳴った。
「どうやら香が効いたようですね。さ、ダリューン卿たちの元へ参りましょう」
そっと扉を開けると、両脇に佇んでいるはずの二人の兵士がくずおれていた。スヤスヤと寝息を立てて夢の中らしい。
アルスラーンとギーヴは顔を見合わせてしたり顔で笑い合うと、仲間の待つ部屋へとその歩調を早めたのだった。