第1章 その香りの先に
いつの間にかとっぷりと日は暮れ、月明かりが照らす森のなかに私たちはいた。
獣が時々ガサガサと音を立てるくらいで、ダリューンは特に警戒する様子もない。その証拠に兜を脱いで私の隣りにいた。
(結構な距離を来たと思うのだが、まだ着かないのだろうか?)
正直なところ名馬のシャブラングの背とはいえ疲れを感じていたのだが、そんな様子に気付いたらしい。
「お疲れのところ申し訳ございません、もう少しご辛抱下さいませ殿下」
気遣うようにそう声をかけられて、少し動揺した。
「いや、大丈夫なのだが・・・お前の友はこんなに奥深い森のなかに住んでいるのだなと少しそう思っていたのだ」
両手をふりふり、心の中まで気取られてはいないかと少し気にしながらも、素直な気持ちを言ってみる。
「ナルサスはこの先に住んでいると聞いています。山荘に引き篭もって異国の書を読んだり、絵を描いて暮らしているそうです」
(絵を嗜むのか・・・)
以前聞いていたナルサスの印象とは違う回答に、少し呆気にとられてしまった。
もっとこう、固いイメージだったのだが。
「ナルサスは絵が好きなのか?」
「・・・まぁ・・・」
一拍置いて思案顔になると、言葉を選ぶようにして続けた。
「誰にでも欠点はあるものでして」
(?)
「あの男は天体の運行、異国の地理、歴史の変化・・・何でも知らぬことはございません」
「ふむ」
「ですが、たったひとつ。自分の絵の技量についてだけは・・・いわゆる下手の横好」
不意にヒュッと何かが前方を掠めた。
ダンッと軽快な音を立てて樹の幹に弓矢が刺さったのを確認すると、その場を後退するためにシャブラングの手綱を少し引っ張った。
「それ以上進むと、今度は顔の真ん中にお見舞いするぞ!!」
よく通る声があたりに響く。
何者なのだろうか、続く声にナルサスを守っている誰かであろうことはわかったのだが、ハリのあるその声にいささか物怖じしてしまう。
ダリューンといえば特に表情も変えず、その声の主に応えるように大声で通行許可を願い出る。
「エラムか、俺だ、ダリューンだ!お前のご主人に会いに来た!ここを通してはもらえぬだろうか!」
(エラムというのか)
この声の主とも旧知の間柄らしかった。