第2章 レーゾンデートル
それで、とアルスラーンは、気になっていた事を聞こうとして言葉を濁した。
何故だか話題にしてはいけない気がしたからだ。
ダリューンはそれに気づいてはいるが、あえて自分からは話すまいと口を結ぶ。
母のみならず、得体の知れない銀仮面の男にカナヤが捕らえられてしまったなどと言えるはずもない。
彼が落ち込んでしまう姿がありありと浮かぶからだ。
事の発端になってしまったエラムにしてみれば地雷そのもので、あれ以来得意の料理で鍋を焦がしたり皿をひっくり返したりと、凡ミスを連発してしまうくらいにはダメージを受けていた。
家を出て明るい光を浴びると、毎日の鍛錬として欠かさない剣の素ぶりを始めた。
(カナヤはこうして鍛錬している姿を、物珍しそうに見ていたな)
彼女の言動や様子を察するに、およそ血なまぐさい世界とは無縁の生き方をしていたのではないのかと思っていた。
記憶喪失と本人は言うし、それを嘘とも思わないのだが、ふとした仕草や向けられる眼差しが純粋な気がした。
そして時折見せる、引き締まった表情。
あの瞳の奥にある強い意志みたいなものに、単純にダリューンは魅せられているのだった。
少し低く通る声で、愛馬のソキウスに話しかける背中。
普段の少年くさい仕草とは真逆な、透き通る歌声。
月夜に染みるような寂しげな横顔。
黒髪に銀糸の前髪を揺らしながら、こちらを見透かしたように突き刺さる赤い瞳。
─そのどれもがダリューンの心を揺さぶっていた。
(殿下とそう変わらぬ歳くらいの娘に、俺は)
振り払うように一際鋭く突くように剣を前へ出すと、長く息を吐いて目を閉じた。
始まりは些細なものだった。たまたま気づいて助けただけ、それだけだった。
それが今やどうだ、心に巣食うようにしてその存在を主張している。
ダリューンは己の立場を再確認すると、その主張を押し込めるようにしてもう一度剣をふるったのだった。
そんな彼を影から見る者が1人。
(重症だな、あれも)
アルスラーンや己のレータク(侍童)であるエラムのみならず、武人であるダリューンまでもがこの調子だ。
カナヤの一体何が彼らをそうさせてしまうのか。
そう思う反面、記憶喪失で拾われた面白い存在という認識しかないナルサスにとっては、今の状況は甚だ迷惑なものでしかない。
こんな大事な時に、余計な荷物を増やすなどと。