第1章 その香りの先に
「ん…うっ」
最初こそただ押し付けられていただけだったが、鎖を持つ手が離れカナヤの後頭部を掴むと、程なくしてヒルメスの舌で唇をなぞられる。
これ以上の侵入を許せるものかと歯を食いしばるが、憎悪の塊のような本人の存在とは裏腹に、その舌使いが酷く優しくて、カナヤの肌はゾクリと粟立つ。
一瞬気の抜けたのを見逃さなかったようで、ヒルメスは口内を舌で好き放題まさぐり出した。
お互いの唾液が混ざり合い、端からツ…とつたう。
目を閉じているためか他の感覚が鋭敏になっているらしい、耳に伝わる音が、口内に伝わる感触が、益々カナヤの身体を震えさせた。
手足が自由にならないカナヤはされるがまま、まさに遊ばれている状態で、身体の力がまるで入らない。
(飼われる?こんな飼われ方をするのか、いいのか、いいわけがない)
わずかに残る己の理性が、閉じていた目を開かせる。
何かを感じ取ったヒルメスは唇を離すと、濡れたその口を袖で拭った。
「…もう少し楽しませてくれると思っていたのだがな」
「生憎、舌を噛み切ってやろうと思っていたんだけどね、残念だ」
荒れる息を整えながら不敵に笑うと、身をよじってその腕から逃れた。
窓を背にしたカナヤを月明かりが照らし出す。
乱れた前髪を揺らすと、その瞳は赤く、ヒルメスを見つめていた。
「まあいいだろう、大人しく慰みものになってしまってはつまらんしな。どのみちお前は俺からは逃れられん。下手に逃げようなどとは思わない事だ」
ヒルメスは満足したように舌で己の口を舐めると、懐から小さな鍵を投げて寄越した。
「足枷の鍵だ。だが首の枷は外せんぞ」
言いながら近づくと、正面からフワと両手を回す。
気づくと腕を縛っていた布が外されていた。
「随分抵抗したな。…後で手当くらいはしてやる」
(これは……キンモクセイの香り…?)
遠くからでもわかるくらいに主張する可憐な花の匂いが、彼からしてきたことに驚きその場を動けずにいると、血が滲む手を取り手首の傷に舌を這わせた。
「いっ…何を」
「お前の血は香しいな。…俺のものだ、カナヤ」
匂いのせいだ。
その言葉に頭がクラりとしたカナヤは、それを振り払うかのようにそう理由づけたのだった。