第1章 その香りの先に
「私をどうするつもりなんだ」
畏怖の念を悟られぬよう、いつもより低めの声で威嚇するように言うと、ヒルメスはさもありなんとばかりに即答する。
「飼う、と言ったであろう。…そうだな、ゴラームみたいなものだ。飽きるまでは面倒は見てやる、光栄に思え」
何様なんだと口には出さなかったが、憎々しげにヒルメスを見やると、その瞳は狂喜に輝いていた。
顎にやっていた手で鎖を思い切り引っ張る。
よろけながら立たされる格好で、はからずもヒルメスの胸に寄り掛かる様になる。
飛び退こうとするカナヤを片腕で抱きしめると、その目を見開いてククと笑った。
「お前は俺のものだカナヤ。どいつもこいつもこの顔を見るや、恐怖で目を背けるというものを。俺に服従しろ、楽しませてみろ、退屈しのぎにはなる」
ヒルメスの背丈は高い。
鎖を無理矢理引き上げながら片腕で抱きしめているが、足がつかないカナヤは苦しげに呻くばかりだ。
それすら楽しそうなヒルメスに嫌悪を抱くものの、何故自分を生かして飼おうとまでするのか、カナヤには理解不能であった。
「…服従するつもりもない、私の心は誰にも飼われない!」
ヒルメスの胸元に響く、やや低めの少年のような声。見合った赤い瞳が己を映すのがたまらなく心地が良かった。
(そうだ、“俺”を見ろ、いずれ俺に懐柔させてやる)
「獣の目だな。先程対峙したアンドラゴラスの小倅の取り巻き…ダリューンも獣の目をしていた」
ビクッとその目が見開かれる。
ダリューン?ダリューンと言ったのか。この男と対峙したのか、まさかやられてしまったのか。
そう思うも悟られては一大事と、直ぐに平静を装うも、ヒルメスは見逃すはずもなかった。
「お前、知っているのか」
咄嗟のうまい言い訳も思いつかず、聞いたことがあるとだけで精一杯で。
ヒルメスの目が細められ探るように覗き込まれて居心地のよいわけもなく、フと目線を逸らしてしまった。
(馬鹿だ、これじゃ知っていると言っているようなものだ)
再度鎖を引き上げたかと思うと、唇に感じたのは生暖かく柔らかい感触。
それがヒルメスからの口付けであるとわかるまでに、数秒を要した。
「なっ……ん」
1度は逃れたそれは、執拗に追いかけて来て再度唇を塞ぐ。目の前の双眸は見開かれたままで、カナヤは恐怖でギュッと目を閉じた。