第1章 その香りの先に
そう言って立ち上がろうとした矢先、炎がひときわ大きく揺らめいて人の気配が増えたのを感じた。無意識に身構えて、そちらを見やる。
カナヤは部屋の奥まった場所に転がされているため、こちらからは入口らしきものは確認出来ない。
キィ…と扉が閉まる音がすると、今しがたカナヤの前にいたその老人らしき男は、いつの間にか椅子に腰掛けて来客を迎えていた。
「ワシだけが座っておるからと言って咎めるでないぞ、あの術、アトロパテネの大平原に霧を起こして体力が戻っておらんからの」
「喋る力は十分に残っているようだな」
嫌味を言う声が聞こえる。それよりなんだ、アトロパテネの大平原に霧?…霧って、まさか私がいたあそこの事だよね、まて、この老人は何を言っているんだ。
カナヤはこの話を整理するために必死で頭をフル回転させる。
混乱する耳に届いたのは、カーラーンの死。
アルスラーンを付け狙っていて、ナルサスに部下を寄越したという、あのカーラーンか。
どうやらアルスラーン達が倒してしまったらしい。聞く限りだと、会話の相手の部下かなにかのようで、ギリ、と歯が鳴る音が聞こえた気がした。
「おお、忘れておった。銀仮面卿、面白い者を拾ったので、おぬしにも披露してやろうと思ってな」
不意にこちらに意識を向けられ、カナヤは身を固くして後ずさる。
先程から感じる禍々しい雰囲気と、もう一人から感じる憎悪の雰囲気に目を見開く。
見つかったらダメだ、逃げられるわけもないんだけどダメだ。頭の中で警鐘を鳴らすが、当然どうにもなるわけがない。
(もう一人が入ってきたと言うことは、ドアは開いている、ここは一気に…)
「逃げ「られると思うなよ」」
ひといきに銀仮面卿の横をすり抜けようとして、あっさりとその腕を掴まれてしまった。
「おい、これか、面白い者というのは」
「クックッ、変わった雰囲気を纏っているとは思わぬか?それにそやつの目を見てみい、蛇の目をしておるぞ」
「うるさい離せ、蛇なわけあるかボケ老人!痛いってば!」
必死の抵抗もむなしく、簡単に引っ張られて肩を掴まれて正面を向かされてしまう。
カナヤの前には銀仮面卿、その名の由来であろう鈍色の銀仮面が目に映る。
2つ開いた穴の奥の鋭い視線が、カナヤを捉えていた。