第1章 その香りの先に
声がした方に振り向くと、そこにはルシタニア兵が1人佇んでいた。おおよそ先程のやり取りを聞きつけて来たのだろう。
今のカナヤには味方はあくまでもアルスラーン達だけであり、目の前の人物がとても助けてくれるようには思えなかったのだ。
しかも、自らの命の危機に正当防衛…とはいえ、コレでは自分が悪者みたいに映るのではないか。そう考えたカナヤが取る行動はただ一つ。
「─逃げるが勝ちッ!!」
「あっ」
ルシタニア兵…少年のような声ではあったが、あちらは兵士でこちらは丸腰の一般人。先程の奇跡のような反撃もそう何回もできるようには思えない。
カナヤは鬼のような形相で、全速力でそのルシタニア兵の横を通り過ぎる。
彼が来た方に進めば、もしかしたら大通りへ抜けられるかも知れないと思ったからだ。
(全部エラムのせいだ、迷子の原因あいつじゃん!)
心で悪態をつくが、どうもカナヤは想像以上に体力が無いらしい。既にへばって来てしまい、息も絶え絶えになってしまっている。
(まずい、手足が変な感覚だ…あーもう、記憶喪失だわ変な所にいるわ、はぐれるわ…)
当初の目論見は宛にならなかったらしい。ますます袋小路になったのがわかると、小走りになっていた足をふらふらとしながら止めて壁に背をあずけてズズ、とその場に崩れ落ちる。
(助けてくれたけどさ、そもそも足でまといじゃないか私。なんで着いていくって言ったんだよ、本当にバカだ)
絶望と諦め。
生きようとしていた自分の存在意義が分からなかった。
アルスラーン達はカナヤとは立場も違う、課せられた宿命も違うだろう。
エラムのせいにはしたが、そもそも彼らはたまたま彼女を拾ったに過ぎない。どこの誰ともわからぬ足でまといをずっとそばに置くとも思えない。
何より自分自身を信用できていないのに、他人に自分の生を預けて甘えるなんて、なんと浅ましくて愚かしいのだと、そう思ったのだ。
(独りか…うん、記憶がないのに、すごくモヤモヤする、私は知ってるんだ、この感覚を)
肩で息をして、その額からは汗がつたう。
ふぅ、と一息ため息をつくと瞼を閉じた。
何も見えない、聞こえない。そうなればどれだけ楽になれるか。
(もう、疲れたな)
そのままカナヤの意識は闇へと引きずり込まれていった。