第1章 その香りの先に
友達…というのとは違うのだが、どちらにせよもう少し堅苦しい感じは、なしにして欲しかった。
誰も何もわからない世界。
突き放されるより、僅かばかりでも味方になってくれた方がいい。そんな打算的な考えもある。
記憶喪失を自覚してからというものの、自分の内面の弱さを隠すために半ば道化じみた様な仮面の笑いしか出来ていないことに気がついてはいた。
生きる術。本能だかあるいは記憶があった頃から染み付いていたやり方なのか。
虚しいと感じながらも、半分はそれを良しとして振舞ってはいる。
だが、独りにはなりたくなかった。今のカナヤにはそれが一番死にも等しい恐怖であったのだ。
ならば、道化でもいい、確実に生きていく為に。
カナヤはそんな思考を巡らせていたのだが、アルスラーン達は彼女が単純に、友達欲しさに悩んでいると思ったらしい。
「分かりました、あなたがそう望むのなら、友として接しましょう…あ、いや、これからはカナヤは我々の友だ、よろしく頼む!」
「全く、つくづく変わったお人だ。その申し出をしたからには、あなた自身もその言い方を改めて貰わねば。なぁ、カナヤ」
日が沈む途中なのか、洞窟に入る日差しに影が落ち始める。
カナヤは自身の本心に丁寧に蓋をすると、ありがとう、よろしく!と偽りの笑顔を精一杯振り撒いたのだった。
程なくして夕日が完全に落ちて、辺りは夕闇に包まれる。
カナヤ達が潜む洞窟から少し離れた木の根元で、白い影が揺らめいた。
「…もう少しだな。この世界は僕が知るよりももっと、闇の力に満ちているらしい。姿を保ち続けるだけでは、君は守れないからね」
己の手を見つめて少し歯噛みする。
金の瞳が閉じられ、長く白い睫毛が頬に影を落とす。
柔らかい髪が風に揺れると、その眉目秀麗な顔を半分だけ隠した。
「もう少しだよ、もう少しだけ待ってて。今は君が僕を忘れていてもいずれ思い出すから。その時が来たら君のそばへと行くよ。神のみぞ知る遊びから、君を守るために」
風と相違ない囁きは、果たしてカナヤへと届くのか。
少しだけ寂しげに笑うと、次の瞬間には、彼の姿は忽然と消えてしまったのである。