第1章 その香りの先に
そう言うダリューンの優しい声色にホッとしたカナヤは、ありがとうございます!と屈託なく笑うのであった。
それからしばらくして。
やり過ごす為に洞窟へ潜むもやはり食料は必要で、偵察も兼ねたエラムが鳥を撃ち落として帰ってきた。
「お帰り、エラム!」
「ただ今戻りまし……何事ですか」
「アルスラーン殿下が剣の稽古をしてるみたい」
洞窟の入口は湾曲しており、奥へ行くほど広い造りになっている。簡単に内部を悟られぬようにナルサスとエラムが作ったらしい。
剣の打ち合う音が響く。
「へぇ、思ったよりよく動きますね」
「ヴァフリーズ老が鍛えてくれていたそうだ」
カナヤはもちろん剣なぞ分かるはずもない。が、2人が打ち合うその姿が、絵のように綺麗だなと思いながら見つめていた。
疲れが来たらしいアルスラーンの足元が怪しくなる。
「少し休みますか?」
「いや、もう少し頼む」
肩で息をして汗が散るほどだ、疲弊しているはずが尚も稽古を続けるようにそう言うと、ナルサスの待ったが入る。
「あまり根を詰めると、逃げる体力がなくなってしまいます。」
アルスラーンの気持ちの変化を如実に感じていたダリューンには、誇らしく写る。
アトロパテネでの経験が、奇しくも彼の内面の成長を促したとも言える。
この先の道は険しいものであるだろうが、そんな彼に仕える喜びを感じていた。アルスラーンは良い王になる、そんな確信がダリューンの忠誠心をより深く確実なものにしているようだった。
山を下りる相談をしようとした矢先、カナヤの姿がない事に気付く。
「ああもう、あの人は……!」
エラムが舌打ちをしながら洞窟を駆け出そうとした時、入口に彼女の背中を見たエラムは小言の一つでも言ってやろうと息を吸う。
しかし、聞こえた声にその息を飲み込んでしまった。
『自由って せつなくないですか?
大人になったんだね
自由って せつなくないですか? 少しだけ─』
聴いたことのない旋律、空に透けるような声。
語りかけるように紡がれ、しかし泣きそうにも聞こえた歌声は、聴いたものを立ち止まらせるには充分だった。
「……よい、そのままにしておけエラム」
いつの間に来ていたのか、歌に感心しつつもナルサスはなにか企むように、不敵な笑みを浮かべていた。
※坂本真綾さん『モアザンワーズ』より一部引用。