第1章 その香りの先に
側で一頭がしきりにカナヤの服をそこかしこ食む姿は、まるで構え、と言わんばかりだ。
それが面白くて、アルスラーンは吹き出してしまう。
その後ろからダリューンが声を掛けた。
「本当に懐かれているようですな、いっそカナヤ殿の馬にしたらいかがか?」
「…良いんでしょうか、人の馬なのに」
「つい今しがた馬たちに言っておったではないか、逃げられて良かったと」
その馬は雄でつややかな青鹿毛の毛並みをしていて、ダリューンのシャブラング程ではないが体躯もほかの馬より大きめだ。
見つめた黒い瞳は、何か言いたげに見えるのだが、カナヤが馬語を解するわけでもなく。
しばし土の天井を見上げると、その馬の顔を撫ぜて問うてみる。
「私と、一緒に来る?」
肯定だろうか。その顔をすり寄せる。
「…決まりだな」
ダリューンのひとことで嬉しくなったカナヤは、アルスラーンの両手を握ってブンブンと振りながら、しきりにありがとうありがとうと言うのであった。
「名前どうしよっか。馬男、じゃダメか」
「いくらなんでもそれは短絡的、というか、そのまま過ぎでしょう」
エラムが少し離れた場所からチクチクと突っ込む。
眉根をよせてひとしきり悩むと、ポンと両手を鳴らして何か思いついたように言う。
「ソキウス!相棒や仲間って意味だよ、おまえは今日からソキウスだ!」
満面の笑みでその馬─改めソキウスの鼻を撫ぜると、その瞳は満足げに見えた。
「ソキウス、良い名だな。…しかしカナヤ殿、あなたは馬には乗れるのですか?」
「あっ…」
胡座をかいてそう言うナルサスに、一同ははたと気付く。
この洞窟へ来るのに馬を引いていただけなので、そもそも馬を操れるのかという問題が忘れられていたのだ。
「幸い鞍もあるようですし、試しに乗ってみましょうか」
裸馬であれば素人には難しいのだが、鞍がついていればコツさえつかめたら乗れるらしい。
ゴクリと生唾をのんで、ダリューンの指示通りにソキウスの左側へ立つ。左手で手綱を短く持ち、タテガミごと掴む。
「タテガミ、引っ張って痛くないかな…」
「はは、大丈夫ですよ。こいつらは慣れていますから」
「なら…失礼しますよソキウスさん」