第12章 夏の始まり
(これくらい自分でできるのに…)
給仕も魔法なのか、とキラは嘆息した。
「それでは。今宵の出会いに乾杯を」
「乾杯」
そっとグラスを持ち上げて、ルシウスとナルシッサが微笑みあう。
その優雅な仕草にぼーっと見惚れていたキラは乾杯を言いそびれてしまった。
(…乾杯)
心の中で小さく呟いて、洋ナシのアペタイザーと言うものを口に含んだ。
(あ、ソーダなんだ)
シュワリとした口触りが爽やかで美味しい。
キラは緊張で喉が渇いていたのもあって、あっという間に飲み干してしまった。
目の前にはすでに前菜が現れていた。
ルシウスとナルシッサはナイフとフォークを使って美しい所作で食事を口に運ぶ。
キラは食器とカトラリーの擦れるカチャカチャという音を立てないように丁寧に慎重に手を動かすことに集中した。
食事のマナーは一通りわかっているが、この二人を前にして気楽に食事を取るなんて出来そうにもなかった。
「キラ。ブルーム家の今の当主はご存知かな」
「――は、はい?」
テーブルマナーに気を取られすぎて、キラはルシウスの質問を聞き逃した。
その様子を知ってか知らずか、ルシウスは続けて言った。
「ブルーム家の現当主…ヴァイオレット・ブルームのことは?」
「あ…知りません。名前も、聞いたことがなくて…」
「なるほど。君はそれも知らないんだな」
「えっと…?」
「ヴァイオレット・ブルームは…私が見る限り、君のお母様に違いない」
ルシウスの視線は真っ直ぐキラに注がれていた。
(…え? 私の…お母さん?)
「君と同じ黒くて真っ直ぐの髪。瞳の色は黒だったが…アジア人だったよ。口元に左右対称にほくろがあった」
ほくろの位置は、確かに母親と同じ。
『Violet……すみれ…?』
キラの声は掠れてちゃんとした音にはならなかった。
母親の名前は、菫。
菫とは英語でVioletと言う。