第3章 水を乞いて酒を得る
正直言って、図書室に入り浸ってはいるけども、その場にいる人を気にして見たことはなかった。
いつものように静かに入って、適当に本を見繕う・・・ふりをして、そっと全体を見渡す。
昨日の4人組は来ていないようで、しんと静まり返っている。聞こえるのはカリカリとシャーペンを走らせる音と、ページをめくる音だけ。この静けさがとても好きだった。
ドアの反対側にぽつぽつと3組と2人、中央に2組と1人、入り口側に1人・・・3年生が多いらしく、緑のネクタイが視界にちらつく。
入り口側はクーラーが当たりにくいので人気がない・・・が、私はそこが気に入っていた。直で当たるクーラーは、長居する私向きではない。
いつもの席に座ると同時に、がらっと入口が開かれた。先輩だ。
先輩も昨日と同じ場所へ座ると、何やらテキストとルーズリーフを取り出した。
じっとそれを見ていた私に気付いて、口パクで何かを伝えようとする。
「・・?」
理解出来てないことを示すために小首を傾げる。するとまたぱくぱくと何度も先輩は繰り返した。
その様子がとても可愛らしく、眉尻を下げて困った顔をするものだから、ずっと見ていたくなり、理解した後も解らないふりを続けた。
だんだん一人で口パクを続けるのが恥かしくなってきたのか、観念して先輩は付箋を一枚取り出して書きつけた。
そして、付箋を丁度私の手が楽に届くぐらいまでの距離に張り付ける。
手に取ってみてみると、予想通りの文字が書かれていた。
『こんにちは』
この人は・・・たったこれだけのものを伝えるために必死になって口パクを続けて、さらには私が本当に理解してないと思い込んでわざわざこんなものを書いて・・挙句に気を利かせて手の届く位置に貼るなんて。
「くっ・・ふふ・・」
耐え切れず、笑い声が漏れてしまう。
なんてお人好しなんだろう。
笑われた今も、なんで笑っているのか解らずに驚いた顔をしてどうしようと所在無く手が遊んでいる。
この人は、可愛い人だ。
筆箱から付箋を一枚取り出して、返事を書いて、手の届くぎりぎりに貼る。
『こんにちは』
先輩は満足したのか、うんと頷いて微笑むと、勉強に戻った。