第34章 未来の分岐点
嵐山「…」
俺にスコーピオンとテレポーターを仕込んでもらったのは、恵土先輩だった。
恵土先輩のことは桐絵(小南)から聴いていたが
その内ますます興味がわいてきて、弟子入りしたくなっていた。
当時、今から4年7か月前の2011年9月11日
第一次近界民侵攻から2か月後にボーダーに入るや否や
忍田さんに頼んで、田中隊にいれてもらおうとしたんだが
城戸さんから反対を受けていた。
俺は、どちらかといえば忍田さん派だったから。
俺よりも、隊に適する人材がいると言われていた。
だけど恵土先輩は、無理を言って入れてくれた。
経験は大切だ。強くなればなるほど目は集まる。
これから強くなって、スポンサーを付きやすくなり助かる。
等と理由を次々に上げていき、丸め込むことに成功した。
田中隊の隊員としては認めないが
教えを受け続けると言った形で、隊室に居させてもらった。
遠征の最中でも
5か月も毎日合間を縫って通い続けてくれたり
色々と銃の扱いや戦術などの指導を受け続け
2年後に、自分の隊を作るように言われた。
そして…嵐山隊が
2013年10月5日(土)に設立と同時に、B級ランク戦に参加。
9月8日(日)に入ってきた、充(時枝)と賢(佐鳥)と綾辻と組んだ。
それから後、2014年1月12日(日)に入ってきて
あっという間にB級になった木虎を推薦してきた。
『私の中で、最も推薦できる奴だ^^』
その言葉通り、エースを買って出てくれて
おかげで隊が効率よく動き出すことに成功した。
木虎を一番弟子として認めていることに驚いたけれど
態度に差は全くと言っていいほどなかった。
ただ、木虎大好き委員会なるものを設立してた時は驚いたけれど
とても面白くて、優しくて、温かくて明るい尊敬している先輩だ。
とても気さくな人で、底抜けに人を信じ
誰も被害が出ないよう、常に適確に動き続ける。
人が傷付くのなら、自分を傷付くことを選ぶ人だ。
2013年11月、俺たち嵐山隊は
田中隊と一緒に、防衛任務を合同でさせてもらった時
ありありと、圧倒的な実力差と迅速さを同時に見せつけられ
その凄まじさを、身に有り余るぐらい痛感した…