第1章 罪深き河童よ
「幕府の狗が消えればすぐに立ち去る。それまでは大人しくしてくれ。女子を無闇に斬りつけたくはない」
「お侍様、遠慮しないで斬ってくださいませ」
「……何?」
桂は一瞬、己の耳を疑った。女をじっと見つめ返すが、彼女の目には冗談の色はなく、むしろ本気の渇望を表していた。そして未だに混乱する桂を優しく説得させるように、彼女の真実を打ち明ける。
「私の腹には、河童に孕まされた子がおります」
空前絶後の告白に、桂の歩みは止まる。そして刃を抜く手も、石にされたかのように固まった。
「何を言っているんだ?」
「後生ですっ…………私と腹の子を、斬ってくださいませ」
とんだ心中願望の女に、桂は飛び退く。何よりも「河童の子だ、河童の子だ」と嘆く女の姿が悲しく、そして同時に恐ろしかった。
いつの間にか上半身を布団から起きあがらせ、女は縋るように手を畳について桂ににじり寄る。暗らがりでも分かる大粒の涙を次々と零しながら、彼女は彼を見上げた。ぽつり、ぽつりと言葉を口から転がせ、早く殺せとばかりに事情を訴える。
話を紐解けば、女は武家屋敷に務める女中……だったと言う。さして珍しくもなく、彼女は数年前に出稼ぎの奉公として雇われたそうな。侍道が廃れたとは言え、大層な武家屋敷での仕事は充実していた。将軍様の家臣の親戚となれば、少なくとも江戸では裕福な暮らしが約束されている。そのおこぼれと言う訳ではないが、そんな武家に使えればお暇を出されない限り、女の仕事と生活は安泰も同然だった。
けれど、物事はそう旨く運ばない。若い女は望まぬ妊娠したのだ。
曰く、河童に犯されて。
屋敷の主がそれを知り、妖怪の子を身篭った女中を世間には晒せないと、彼女を離れに軟禁したとの事。妖の血を引く子供など災いの元だと断言し、女には情けを掛け、生まれた半妖の赤子だけを絞め殺す予定だそうだ。だが、母となってしまった体と共に、女にも譲れぬ感情が生まれた。
「たとえ河童の子と言えども……私の子には変わりありませんっ。我が子を殺してなお生き存えるなど…………っどうか、どうか私ごとお斬りくださいませっ! お斬りくださいませっ!!」
共に生きられないのなら、せめて共に死を。それが彼女の願いであり、決意であった。