第6章 ワンコ
(瀬……さ、ん……黄瀬さん、起きて)
「ん」
肩に触れる手のぬくもりと、鼓膜を揺らす優しい声。
まどろみから呼び戻そうとするそれに、黄瀬は重いまぶたをうっすらと開けた。
(確か、オレ……結んちに来てて)
まだぼんやりとする頭で、記憶を手繰りよせる。
「ア、レ……もしかして、寝オチ……た?」
「ごめんなさい。よく寝てたのに起こしちゃって」
可愛い声が寝起きの耳に心地いい。
寝ぼけたまま、そろそろと伸ばした手にふと触れる肌のぬくもりに、思わず頬がゆるむ。
「ん、……結」
夢心地のまま、黄瀬がそれを掴んだのは無意識だった。
「……おはよ」
その声は、まるで熱い情事を過ごした朝のように甘く。
黄瀬は、ぴくりと震える手を離さないように強く握りこんだ。
「照れちゃって……結、かわい」
抵抗がないのをいいことに、そのまま自分の胸に抱き込もうと力を込めた黄瀬は、ふと感じる違和感に手の動きを止めた。
(ん?なんか、手の感触が違……)
「おはよう、黄瀬涼太クン」
「!?」
野太い声に一気に覚醒する意識。
黄瀬の見開かれた瞳に映るのは、般若のような顔で自分を見おろしている彼女の兄、翔の姿だった。
彼は海常高校の、そしてバスケ部の大先輩でもあった。
「残念だったな」
「ハ、ハハ。おはようございます……お、お兄様」
「気安く兄って呼ぶな」
誰か夢だと言ってほしい。
上から落ちてくる棘々しい声が、ドスドスと音を立てて身体中に突き刺さる。
かなりの重傷だ。
怒りに震える兄の手をゆっくりと離すと、黄瀬は青い顔のままノロノロと身体を起こした。
「……も、馬鹿」
翔の隣で気まずそうに立ちつくす恋人に、後でどんなお叱りを受けることやら。
「おふくろ!そろそろ黄瀬クン帰るってさ!」
「あら、やだ。晩ご飯食べていってよ」
「お、お気持ちだけで十分です。スイマセン、オレ……寝ちゃって」
「翔が早く帰ってくるから悪いんでしょ。今日は遅いって言ってたくせに」
「俺のせいかよ!」
母親からとばっちりを受ける翔の脇をすり抜けて、そそくさとカバンを肩にかける黄瀬を援護射撃するかのように、メイが「ニャア〜」と長い脚に擦りよった。