第57章 【番外編】フレグランス
分厚いマットレスがわずかに軋む。
ひんやりとするシーツに横たえられて、結は閉じていた目をゆっくりと開いた。
今日の黄瀬の装いは、身体にフィットする細身のジャケットと、甘いマスクによく似合う淡いピンクのシャツ。
白のジーンズにつつまれた長い足は、今日一日で何人の女性の視線を釘付けにしただろう。
開け放たれたドアから届くわずかな明かりに浮かびあがるのは、ジャケットとシャツを無造作に脱ぎ捨てた恋人のしなやかなカラダ。
服の上からでは想像もつかない、男らしく隆起した胸板と、綺麗に割れた腹筋が、呼吸とともに妖しく波打つ。
「……結」
掠れる声で名前を呼ばれ、みだらな期待に胸が躍る。
だが、頬をなで、髪を梳く指は一向に爪をたてる様子を見せず、ゆるゆると毛先をもてあそぶばかり。
「涼、太……?」
戸惑うように動きを止める腕に、結は指をすべらせた。
「もしかして今日のこと、まだ気にしてるんですか?」
「う……なんで分かったんスか」
「分かりますよ。それくらい」
暗闇の中で光るピアスを、伸ばした手でピンと弾くと、伏せられた切れ長の瞳がうっすらとほころぶ。
「もしかしてオレ、自分で思ってるよりも結に愛されてるんスかね?」
「すぐそうやって調子に乗るんだから」
さっきまで垂らしていた尻尾を、パタパタと振る音が聞こえるのは気のせいだと分かっているのに。
一瞬で機嫌を直し、甘えるようにすり寄ってくる毛並みのいい大型犬を、結は両腕で強く抱きしめた。
「お仕事、お疲れさまでした」
「ありがと。結も誕生日おめでと」
「それ、もう何度も言ってもらいましたよ」
日付が変わると同時に拘束された腕の中、「誕生日、おめでと」と耳にささやかれる吐息と、徐々に深くなるくちづけに溶かされて、黄瀬に抱かれた身体にはまだ、情事の名残が色濃く残っているというのに。
「何度でも言いたいんスよ。今日はオレの女神がこの世に誕生した、大切な日なんだから」
歯の浮くようなセリフも、彼の唇から放たれたそれは美しい調べとなって、心を溶かす魔法へと変わる。
これが夢ならどうか覚めないで。
優しいキスに応えながら、ふわりと漂うユニセックスな香りを、結は胸いっぱいに吸いこんだ。