第57章 【番外編】フレグランス
「ただいま!遅くなってゴメン!」
チャイムと同時に部屋まで響く、美しいテノール。
玄関へと続くドアを開けると、すでに靴を脱ぎ捨てた黄瀬が、手にした白い箱を軽く持ち上げながら駆け寄ってくる。
その笑顔が最高のプレゼント──他には何もいらないのに。
「おかえりなさい」
「ん。ただいま」
二度目の言葉とともに片手で引き寄せられて、さわやかな香りにつつまれながら交わす“おかえり”のキス。
「……会いたかったっス」
首を滑り、後頭部に回る手に、結は逆らうことなく背伸びをすると、待ちわびた恋人のたくましい首に両腕を巻きつけた。
今日は少しだけ、気持ちを素直に伝えられそうな気がする。
「……りょーた」
「なんスか?めずらしく甘えた声出しちゃって」
軽やかなリップ音を立てながら降り注ぐキスに、背中を這い上がる渇望と独占欲。
今日という日が終わるまで、アナタのすべてを私にちょうだい。
「残りの時間は涼太をひとりじめ、してもいい?」
「へ」
「大好き」
刹那、大きく目を見開いた黄瀬が、何かに耐えるように唇を噛みしめながら、手に持ったままの白い箱に目を向けた。
「とりあえずコレ、冷蔵庫入れよっか」
「そう……ですね」
その先に待ち受けるのが何なのか、分からないほど鈍くはないはずだ。
多分。
移動したキッチンに用意された料理には見向きもせず、冷蔵庫にケーキの箱を少し乱暴に押しこむ、節くれだった男らしい指に胸がトクトクと高鳴る。
耳に光るピアスと美しい横顔に見惚れていると、パタンと扉を閉めてこちらを向いた瞳が金の光を放った。
「今すぐ抱きたい」
「でも、お腹減ったんじゃ……きゃ、っ」
横向きに抱き上げられて、思わず縋りついたシャツからたちのぼる香りに目がくらむ。
それは、おそらく撮影の時に使われた香水ではなく、彼自身から発する抗えないフェロモン。
「結が作ってくれたご馳走も捨て難いけど、先にこっちが食べたいんスよ」
「ん、ふ……ぁ」
「口、開けて」
寝室に運ばれる間も、これ以上待つつもりはないと主張するくちづけに息を乱されて。
カチャリと部屋のドアが開く音に、結はそっと目を閉じた。