第57章 【番外編】フレグランス
アイシテル
あの日の誓いの言葉を
リングに刻まれた文字を
そして、積み重ねてきた信頼とお互いを想う気持ちを
何ひとつ疑う余地などないはずなのに
こんな風に切り出され、一瞬でも揺らいでしまう自分の狭量さに、結は心の中でひとり喝を入れた。
「なんですか?あらたまって」
指輪に触れながら、平静を装いしぼり出した声は、もう震えてはいないはず。
「ウ、ン。実はさ……」
いつもなら胸のうちを見透かす瞳が伏せられていることに少しだけホッとしながら、結は、憂いの影を落とす横顔に思わず見惚れた。
(綺麗……)
名前を呼ぶことには少しずつ慣れては来たものの、胸のドキドキから卒業できる日は永遠に来ない気がする。
「ただいま」とつむじをくすぐる涼やかな声も
濡れた髪をタオルで無造作に拭きながら、リビングに上半身裸で姿を見せる彫刻のように美しいカラダも
クッションを抱きしめたまま、ソファでうたた寝する無防備な寝顔も
優しい腕につつまれて「おやすみ」と額に落ちる唇も
そのすべてがどうしようもなく愛しくて
「ヒトが真面目な話してんのに、何スか?その可愛い百面相」
「ふがっ」
いきなり鼻をつままれて出る変声に、肩を震わせる黄瀬の大きな背中を、結はぺちりと叩いた。
涼太のことを考えてたの──なんて恋愛ドラマのような切り返しが出来るほどの経験値も器用さも、残念ながら持っていない。
ただ、これからも愛し続けるだけ
「子供みたいなことしてないで、はやくその真面目な話をお願いします」
「ハハ。了解っス」
片目を瞑って敬礼をするおどけたポーズに、胸が甘く締めつけられる。
彼の全部をひとりじめしたい
そんな独占欲にも似た気持ちも、好きの一部だからどうか許して。
「前に話した仕事の話、覚えてる?」
やや真剣な面持ちで近づいてくる端整な顔に、結は小さく喉を鳴らした。
「香水のお仕事……でしたっけ?」
「ウン。それなんだけどさ……実は、最初に聞いてたスケジュールよりも、予定が押してるみたいなんスよ」
ひとり悶々とする結に気づいているのかいないのか、黄瀬の口から出たのは、久しぶりに引き受けたという仕事に関する内容だった。