第57章 【番外編】フレグランス
「そろそろエッチの時以外も、名前で呼んでくんないスか?」
「ぶっ!」
「あっち!結、コーヒー噴くなんてヒドいっス!てか大丈夫!?火傷してないっスか!?」
高校卒業を機に、一緒に暮らしはじめた恋人の名前は黄瀬涼太。
十年にひとりの天才と言われるほどの才能を持ち、中学時代から『キセキの世代』のひとりとしてバスケ界の注目を集め続けている彼は、恵まれた体格と優れたルックスを活かし、全国区のモデルとしても有名だ。
そんなパーフェクトな恋人から、『涼太』と名前で呼ぶことを懇願され、結の苦難の日々は思いのほか長く続いた。
「う、結……そこ、気持ち……い」
「もっと強く擦った方がいいですか?」
「ンっ……たまんないっス、もっと……強く、ぅあ」
「あんまり変な声出さないでくれませんか。黄瀬さん」
「こら、結。名前」
「う」
すかさず入る指摘の声に、結はマッサージの手を止めて言葉を詰まらせた。
「ったく。なんでそんな恥ずかしがるんスか?あ、もしかして、やらしーこと思い出してるとか……イデデデッ!結!ちょっ、ギブギブ!」
愛しいヒトの名前を呼ぶだけなのに、まだこんなにも心が震える。
付き合うようになって随分経つのに、スキの気持ちは膨らむばかり。
でも、それは当然かもしれない、と結は自分自身を援護した。
なぜなら、自分の恋人は“黄瀬涼太”なのだから。
「結。ちょっと話があるんスけど……」
奥歯に物がはさまったような声色に、胸が音もなく軋む。
街ゆく人が思わず振り返ってしまうほどの容姿を備えた恋人が、平々凡々な自分からいつか離れてしまうのではないか──
そんな不毛な考えを追い出すように、結はふるりと頭を振った。