第55章 アイシテル
「あ」
教室でひとり物思いにふけっていた黄瀬は、ふと何かに気づいたように、切れ長の目をぽかりと開いた。
(そっか、アレが姫ハジメだったのかも。久しぶりのエッチに夢中で忘れてた……オレとしたことが)
彼女がその言葉とその意味を知っているか、今年こそはベッドの中で明らかにするつもりだったのに。
知っていれば反抗的に睨んでくる可愛い顔を、そうでなければあの無邪気な瞳を堪能できたはずだったのに。
秘かな計画は来年に持ち越しだ。
(そんな余裕はないかもしんないけど、ね)
唇の端をぺろりと舐めると、黄瀬は恋人の淫らな姿にふたたび想いを馳せた。
『ん、ん……っ、あ……や、だぁっ』
『やじゃないって。結のイイ声……もっと聴かせてよ』
声を抑えようと指を噛む手をシーツの波間に沈め、激しく揺さぶった身体に浮かぶ汗に、欲望は高まるばかり。
自分だけに許された扉の奥に、熱くほとばしる昂りを刻みつけながら、何度高みにのぼりつめただろう。
(ヤバ、なんか思い出したら顔が……)
末期症状のひとつである表情筋のゆるみを隠すように、黄瀬は手のひらで顔をなでた。
「何ニヤニヤしてんだよ。ま、お前が誰のことを考えてるかなんて、手に取るように分かるけどな」
隠蔽工作が間に合わなかったのか、ずいぶん前からよほど締まりのない顔をしていたのか。
絶妙なタイミングで声をかけてくる同級生に、黄瀬は素直に目尻を下げた。
「ウソがつけない正直なオトコって言ってくれるっスか?澤田っち」
「よく言うぜ。ほら、そろそろ行くぞ」
「いてっ」
手加減なく腕を叩いておいて、悪びれた様子もなく笑うのは、クラスメイトであり、ともに青の精鋭を全国制覇へと導いたチームメイトのひとり、澤田一樹。
彼のことを『澤田っち』と呼ぶようになったのはいつからだったろう。
キセキの世代と呼ばれた仲間達とは、違う絆で結ばれた友人と、同じ制服を着てじゃれ合うのも今日で最後。
でも、きっとこれからも──
「うっし!じゃ、どっちが早いか競争っスよ!」
胸に広がる寂寥感を吹き飛ばすように、自信満々の笑みを返すと、黄瀬涼太は上着の裾をひるがえしながら教室を飛び出した。