第1章 ハニー
「あ、海常のアップも始まりそうですよ」
当の結はといえば、大男に絡まれたことを気にする様子は微塵もない。
「ハハ。相変わらずクールっスね」
「何のことですか?」
青峰から本気モードで口説かれていることに、全く気づいていないようだ。
無邪気と無自覚は紙一重。
そして、少し天然なところもある彼女が心配でたまらない。
(まぁ、そんなとこも可愛いんだけど……)
深く溜め息をついた黄瀬は、ジャージを控えめに引っ張る小さな手に、視線を落とした。
「ん、ナニ?どしたの?」
「試合、頑張ってください」
素っ気ない言葉に反して、可愛い仕草と照れたような表情が、ここが体育館であることを黄瀬の頭から追い払うのは必然で。
「くぅ~!モチロン頑張るっスよ!結のために絶対勝つから!」
「き、黄瀬さんっ!」
気がつくと黄瀬は、目の前の小さな身体を腕の中に閉じ込めて、ぎゅうぎゅうと抱きしめていた。
「きゃああああああぁーーっ!」
「いやぁ〜!やめてぇ!」
「黄瀬くぅぅん!!」
あちらこちらから上がる悲鳴に、黄瀬はハッとして身体を離した。
彼女と付き合っていることを隠すつもりはなかった。
むしろ、もっとオープンにしてイチャイチャしたいというのが本音だ。
だが、彼なりに危惧していることが、その気持ちにストップをかけていた。
(オレの大切な女の子を、ファンの子達の妙なターゲットにするわけにはいかないっスからね)
「ふぅ~モてる男はツラいっスわ」
「あ。リクエストの蜂蜜レモン、ちゃんと作ってきましたよ」
「……会話が噛み合わない」
いつも、気をもんでいるのは自分だけのような気がする。
これが惚れた弱みというやつだろうか。
「黄瀬!早くアップしねーか!シバくぞっ!」
ガクリと肩を落とす背中に、まるで追い打ちをかけるように笠松の声が突き刺さる。
「す、すんません!今、行くっス!」
「また後でね」と結の頭をスルリと撫でると、黄瀬は仲間のもとに駆けていった。