第50章 リカバリー
「黄瀬。早くしないと一限に間に合わないぜ」
制服に着替え、これからはしばし高校生としての任務に励む。
白いシャツに腕を通しながら、黄瀬は先に着替えを終えたクラスメイトにポツリと話しかけた。
「澤田っち……ありがと」
「ん?何のことだ」
ぶっきらぼうだが、おおらかな声。
海常のセンターを守る頼もしい背中は、雨の中から連れ出してくれたひとりの男を思い出させた。
『すぐ戻るから、ここにいてくれ』
そう言って教室を出ていこうとするかつてのライバルに、黄瀬は『っ、木吉さん!』と思わず声をかけていた。
だが、木吉は振り返らないまま、静かに口を開いた。
『俺達はさ、ただ図体がデカいだけで中身はまだ子供なんだろうな。笑って、泣いて、時にはもがいて、すべてのことから逃げだしてしまいたくなる弱さがあって当然だ。でも……』
平坦ながらも強い意志を感じさせる声に、黄瀬は手の中のタオルを握りしめた。
『本当に大切だと思うのなら、何があっても、どんなに格好悪くても、決して諦めるな。最後の一秒までボールを追いかけたお前なら、それが出来るだろ?』
『木吉さん……』
『ウィンターカップ楽しみにしてる。風邪ひくなよ、キャプテン』
そう言い残し、扉の向こうに消えていく背中に、黄瀬はゆっくりと頭を下げた。
「鉄心、か……」
一年後、自分はあんな風に誰かの背中を押すことができる人間になっているだろうか。
(いや……そうじゃない。オレには、オレらしいやり方がきっとあるはずだ)
模倣は必要ない。
黄瀬は小さく頭を振ると、入学当初は苦労していたネクタイをあっという間に結びあげた。
「お待たせ。行こっか」
「おう。ちなみに……アトついてんぞ、ここ」
「へ」
「着替える時は気をつけるんだな」と指で突かれた胸元を、黄瀬はあわてて押さえた。
「え、マジで……てか、そんな覚えまったくないんスけど」
「寝込みを襲われたってことか。やるな、うちのマネージャーも」
カラカラと笑い声をあげる澤田の後を追いかけながら、襟を引っ張って中を覗きこむイケメンの顔がだらしなく緩む。
「ったく……油断も隙もない猫っスね」
にやける口許を隠そうともせず、黄瀬はかすかに痕跡の残る胸元に、指をそっと滑らせた。