第48章 オンリーワン
廊下でそんなやり取りがあったことなど知らぬまま、黄瀬は腕の中の身体を、力の限り抱きしめた。
「……ホントに、ゴメン」
これが夢ではないことを確かめるように、何度も──強く。
「オレのコト、嫌いになんないで……お願いだから。も、オレ……結じゃなきゃダメなんだ。結がいないと……」
もう彼女なしの人生なんて考えられない。
今回のことであらためて思い知った。
この感情は、“好き”という二文字ではとても足りない。
全身で叫びたい。
どんなに深く想っているのか。
「嫌いになんて……なれる、わけない」
背中に巻きつく腕から伝わる震えと、こみあげる切なさを、胸に焼きつける。
もう二度と間違えない。
「ホント、に?」
魂が叫んでいる。
どんなに彼女を求めているのかを。
「昨日、は……ごめんなさい。傷つけてしまったのは私なのに、追いかけてきてくれて嬉しかったのに、わた……し」
「結」
涙声を遮るように、その名を呼ぶ。
それは、何度口にしても心を揺さぶる、たったひとつの愛しい名前。
「オレも話したいこといっぱいあるんスよ。でも、今は……」
頬に添えた手をあたたかい涙が濡らす。
首を傾けて、俯く結の顔を覗きこんだ黄瀬は、赤く腫れた唇に小さく眉を顰めた。
「唇、切れてる……ゴメン。痛いっしょ」
「……ううん。私も、叩いちゃって……ごめんなさい」
頬に伸びてくる手首に残る、痛々しい痕跡。
守るべき存在を逆に傷つけてしまった己の未熟さと弱さを、絶対に忘れない。
黄瀬は、深い後悔の念に顔を歪めながら、小さな手をそっと掴んだ。
「あ、これ……は」
あわてて引っ込めようとする手をやんわりと包みこむと、黄瀬は、白い肌に浮かぶ指のアトにくちづけた。
「……痛い?」
「平気……涼太が来て、くれたから」
瞳に弱々しい笑みが戻った瞬間、ひとつぶの雫が頬をつたう。
「嬉しい、来てくれて。私……もう、どうしたらいいか分からなくて」
「ゴメン。不安にさせて……でも、もう大丈夫だから」
安心させるように額を合わせ、絡めた視線の先の熱を確かめる。
「ね、キスしてい?」
「……馬鹿」
言葉とは裏腹の甘いささやきに小さく笑むと、黄瀬はゆっくりと唇を重ねた。