第37章 ホーム
「は?」
いきなりそんな課題をつきつけられても「はい、そうですか」と言えるほど心臓は強くない。
いきなり大声で歌い出したり、初対面で名前を呼ぶ男と一緒にされては困るのだ。
「う。じゃあ……テツ、……とか?」
「それは黒子だ」
「じゃ、てっちゃん……」
「それは完全にカテゴリが違うものになってるぞ」
名前呼ぶだけだろ?そんなに難しいことか、と真顔で首を傾げる木吉に、どうすればこの複雑な乙女心を理解してもらえるのか。
(一生無理……かも)
「そ、そうなんですけど……でも、そんなすぐには、無理……ですよ」
「仕方ないな、この件は宿題にするか。ちゃんとクリアしないと……分かってるよな」
出会ってからもうすぐ二年。
バスケも恋も、決して平坦な道のりではなかったかもしれない。
だが、こうして今彼の隣にいられるキセキと幸せを噛みしめながら、結は、挑戦的に瞬く瞳にこくりと頷いた。
「いいコだ……」
身体の痛みはいつか消えても、重ねた肌のぬくもりと、ふたりで過ごしたはじめての夜を──愛しさで溢れるこの胸の痛みを、決して忘れることはないだろう。
「結のところに帰る楽しみが、ひとつ増えたな。いいコで待ってるんだぞ」
肩に回された手で引き寄せられた腕の中、規則正しい音を刻む胸にそっと寄り添う。
「子供じゃないんですからね。いいコは余計です」
そっと見上げた木吉の顔は、いつか見た時と同じように凛と前を向いていた。
──これからもこの人の隣で、こうして前を向いていけたら
その願いは叶ったのだ。
『ただいま』
大きく手を振りながら満面の笑みで駆け寄ってくる姿が、瞼の裏にくっきりと浮かび上がる。
なんて幸せな景色。
『おかえりなさい』
笑顔で迎える日は、きっとそう遠くはない。
(待ってます。ずっと……貴方だけを)
髪を梳いてくれる無骨な指から流れ込んでくる優しさに包まれながら、だが徐々に重くなるまぶたに逆らえるはずもなく。
結は幸せな眠りの中に、ゆっくりと落ちていった。