第37章 ホーム
ゆらゆらと波間を漂っているような浮遊感に、意識が揺らぐ。
鼻腔をくすぐる潮の香りを肺に吸い込み、ふたたび浅い眠りにダイブしようとした結は、背中に触れるリアルな温もりに夢の中でその足を止めた。
時差の影響なのか、自分の瞼さえコントロール出来ないことがもどかしい。
寝返りを打とうと身体に力を入れた瞬間、下腹部に走る鈍い痛みと、感じたことのない違和感に、結は背中を丸めて小さく声を上げた。
「……っ」
「大丈夫か?」
声のする方にゆっくりと向けた目に映るのは、夜明け前の淡い鈍色の空気の中で、困ったように微笑む恋人の姿。
「もう起きたのか?いいんだぞ、まだ寝てても」
顔にかかる髪をそっと整えてくれる指先が、優しく頬をすべる。
その距離のありえない近さに、眠っていたはずの心臓がとくんと鼓動を響かせた。
「……木吉……さ」
「鉄平だ。ゆうべはそう言ってくれただろ?」
「鉄……ぺ、い……?」
誘導されるまま口に出した言葉が、不自然に耳を揺らす。
「俺の下で、気持ちよさそうな顔して何度も呼んでくれたのに……覚えてないのか?」
鮮やかに甦る濃厚な夜。
結は、口をぱくぱくさせながらその顔を朱に染めた。
「真っ赤になって、何を思い出してるんだ?」
イタズラな声が耳に落ちる。
「べ、別に…………ん?待って下さい。私、言ってません……よね?名前」
「あ、バレたか」
「もう。子供ですか」
目尻を下げる木吉のやわらかな笑顔に心が甘く痛む。
目の前の、広くてたくましい胸から距離を置こうと身じろいだ結は、身体の奥に残る鈍痛にふたたび顔をしかめた。
それは彼に刻まれた、確かな情交の名残り。
「辛そうだな、やっぱり。その……悪かった。ずいぶん無理をさせてしまって」
困惑した表情の木吉の頬を、結は手加減なしで横に引っ張った。
「イ、テテっ!」
「どうしてそんな顔……するんですか。怒りますよ」
「もう怒ってるじゃないか。いてぇ」
両手で頬を撫で情けない声を上げる大男を、結は恨めしそうに見上げた。
「謝らないでください。幸せ、だったんですから」
「結……」
「木吉さんは……違うんですか?」
やわらかく綻んだ瞳に、結はそっと笑みを返した。