第34章 トラップ
黄瀬目当ての女子の数は、梅雨に入っても減ることはなかった。
そんなギャラリーに混じることなく、少し離れた場所から体育館をチラチラと覗く顔と目があったのは偶然だった。
『……あのコ、は』
その時、結の頭に浮かんだのは、彼女に対しての後悔の念ではなく、忌まわしい記憶。
何かされたわけではない。
それなのに、足元から這い上がる震えが全身を駆け巡り、目の前がチカチカと弾けた。
頭から血が引く音を身体の内側で聞きながら、その場で倒れないよう踏ん張るのが精一杯だった。
(もう、大丈夫だと思ってたのに……情けない)
薄暗い校舎と不穏な人影。
見下すように歪む紅い唇と、棘のある声。
男の顔など何一つ覚えてはいないのに、ナイフの鈍い閃光とジャリジャリと近付く不気味な足音は、記憶の底に錆のようにこびりついていたのだ。
結はぶるりと身体を震わせた。
「大丈夫?思い出すのが辛いなら、無理しないで。でも、吐き出して楽になるなら全部オレに言って」
ちゃんと受け止めるから、と引き込まれた胸の中、頬から伝わるのは自分以上に激しく打つ心臓の音。
胸につかえていた何かが溶け落ちてゆく不思議な感覚に包まれながら、結は熱い血潮に耳を澄ませた。
「悪いコじゃ、ないと思うんです。きっと、何か事情があって……彼女も苦しんだんじゃないかと、もしかして、今も苦しんでるんじゃないかと思うと、たまらなくて」
(だって、泣きそうな顔してた)
そこまで考えて、結はハッと目を見張った。
「謝りに……来た、の?」
自分の考えは間違っているのだろうか?
迷う心を見透かすようにポンと頭に置かれた優しい手に、胸の奥が熱くなる。
そうかもね、と同意の声の方へ顔を向けた結の目に映るのは、公正さを湛えた瞳。
「オレの考えを言っていい?」
まっすぐに見返したままコクリと頷く。
「仮にそうだとしても、結は謝っちゃダメだってこと、かな」
「……謝ら、ない?」
「そ。向こうがもし謝罪のつもりで現れたんだったら、結はその気持ちを受け取ればいい。でも、ただ許すんじゃなくて、怖かったってことをちゃんと伝えるんだ」
もう二度と同じ過ちを犯さないように
黄瀬の瞳は、そう言っているように思えた。