第32章 アンダー・ザ・シー
「緑間さん!お待たせしてスイマセンでした!」
「いえ。こちらこそ、仕事中にすいません」
少し息を切らせながら現れた結は、ずり落ちたトートバッグを肩にかけ直した。
「ちょうど勤務が終わる時間で良かったです。おひさしぶりですね。元気……そうで何よりです」
うっすらと口紅をつけているのか、ふわりと笑う艶やかな唇から、緑間はそっと視線を外した。
「……おかげさまで」
「自転車は職員用の駐輪場で預りますから、ご心配なく」
「助かります」
緑間は、ガラガラと音を立てる自転車を指示された場所に停めると、軽く頭を下げた。
土曜日は確か病院にいると記憶していたのは間違いではなかったようだ。
そして、こうして連絡が取れたのはやはり、ラッキーアイテムのお陰だ。
緑間は胸ポケットから頭を見せるツリーにも、心の中で頭を下げた。
「お役に立てて良かったです。あ、そうだ、コレ」
差し出されたナイロンの袋を受け取って、中をチラリと覗きこんだ緑の瞳がわずかに綻ぶ。
「有り難く、いただくのだよ」
「なかなか見つからなくて、病院内の自販をあちこち探しちゃいました」
あどけない笑顔はいつまで経っても変わらない。
(でも、少し雰囲気が……)
そんなことを考える自分に、緑間は気持ちを引き締めながら、隣で黒い瞳をキラキラさせている相棒にふとイヤな予感を覚えた。
「高……」
「うはーー!意外にも女の子が出て来たよ。あ、どうもはじめまして。オレ、高尾和成っていいます。真ちゃんの相棒として耐え忍ぶこと早二年……てことで真ちゃん、ちょっと彼女の隣に立って。写メ撮ってみんなに流すからさ」
「何?」「は?」
「真ちゃんにこんな可愛い知り合いがいたなんてさ。ね、ね、この後一緒にお茶でもど?高校はドコ?この病院とはなんの関係があんの?名前、後でゆっくり教えてくんない?勿論メアドも」
矢継ぎばやに質問してくる高尾の勢いに押され、呆気にとられて立ち尽くす結の前に、「肖像権の侵害だ。やめろ、高尾」と広い背中が庇うように立ちはだかった。
「ナニナニ。真ちゃんてば、もしかしてもしかしちゃったりなんかすんの?」
「日本語で話せ。やはりお前は口を怪我するべきだったのだよ」
「何それ!?ひでぇ!」